大泉寺(安中市)概要: 何度か火災により焼失、再建を繰り返したことで記録なども失い詳細な由来等は不詳ですが大泉寺の創建は室町時代の文安年間(1444〜1449年)、圓茂大和尚により開かれたのが始まりされ蟻結上人が再興し境内を整備したと伝えられています。
江戸時代初期は安中藩から庇護され藩主井伊家縁の人物が葬られています。明治元年(1868)に山門(切妻、桟瓦葺、薬医門、一間一戸)を残して多くの堂宇が寺宝、記録などが焼失、暫く仮堂で営まれましたが平成6年(1994)に本堂(木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付)が再建されています。
境内には井伊直政(※1)の正室で安中藩初代藩主井伊直勝(※2)の母親(※3)の墓碑(五輪塔)と西隣には直勝の妻(※4)の墓碑(五輪塔)があり昭和46年(1971)に安中市指定史跡に指定されています。又、一角には「チャンコロリン石」(※5)と呼ばれる不思議な石があるそうです。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
補足
(※1)井伊直政−徳川家康の側近・徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑・初代彦根藩主、関ヶ原の戦いで負傷し、その傷が癒えずに死去。墓所は祥壽山清涼寺:滋賀県彦根市
(※2)井伊直勝−本来は直政の長男であった為、彦根藩を継ぐ人物だったが、なんらかの理由で事実上排斥され安中藩に移封となった。掛川城:静岡県掛川市で死去、墓所は可睡斎:静岡県袋井市
(※3)母親−名:花、戒名:唐梅院殿台誉崇玉大姉、松平康親の娘、徳川家康の養女
(※4)直勝の妻−2代藩主井伊直好の生母、戒名:隆崇院殿念誉寿専大姉、直勝の側室、お岩の方
(※5)チャンコロリン石−昔、中山道を夜な夜なチャンコロリン、チャンコロリン、チャンコロリンと不思議な音が鳴り響いた為、住民は気味悪がり安中城の城下も活気も無くなりました。事態を打開する為、藩の役人が調査すると車輪のような石がゴロゴロと転がり、その音がチャンコロリン、チャンコロリンと鳴っていた事が分かりました。早速腕利きの藩士に命じてその石を止めようとしましたが、刀で切っても槍で突いても鉄砲で撃っても止まる事が無かった為、大泉寺の住職に相談すると法力により石を止め境内に封じ込めたと伝えられています。
安中市:神社・仏閣・再生リスト
|