伊勢崎神社概要: 伊勢崎神社の創建は鎌倉時代の建保元年(1213)、鎌倉幕府の重臣三浦介義澄(三浦家五代目惣領)が勧請したのが始まりと伝わっています。鎌倉時代末期の元徳元年(1329)に、国司である新田義貞(上野源氏、鎌倉幕府滅亡の立役者、建武新政樹立後に足利尊氏と対立し越前国藤島で討死。)によって現在地に遷座(その際、八坂神社の分霊・稲荷大社の分霊・北野天満宮の分霊を勧請合祀)、以来、伊勢崎の総鎮守として周辺住民や歴代領主から信仰されました。
特に中世は赤石城の城主、江戸時代に入ると歴代伊勢崎藩(藩庁:伊勢崎陣屋)の藩主から庇護され社殿の改修や造営が行われました。当初、境内地を含む地域一帯は赤石と呼ばれていましたが元亀年間(1570〜1573年)に伊勢神宮(三重県伊勢市)の分霊を勧請合祀以来、伊勢崎の地名の由来になっています。
現在の伊勢崎神社の本殿は江戸時代後期の嘉永元年(1848)に再建されたもので、一間社、流造り、銅板葺き、建物全体に精巧な彫刻が施され特に壁面には中国の故事と思われる透かし彫りが見られます。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺き、正面千鳥破風、平入、桁行5間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り横板張り。幣殿は両下造(本殿と拝殿を切妻屋根で接続)、銅瓦棒葺、桁行1間、張間1間。
当初は飯富神社と称していましたが、大正15年(1926)に町内にある神社を合祀して伊勢崎神社と改称し昭和16年(1941)に県社に列しています。境内には明治9年(1876)に楊州庵半海社中が建立した「よく見れは薺花さく垣根哉」の芭蕉句碑があります。 祭神は保食神(食物・産業を司る神)。
伊勢崎神社:上空画像
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