総社藩

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総社藩・歴史・観光・見所
総社藩概要: 小田原の役後、徳川家康の譜代家臣だった諏訪頼忠が1万石に加増されこの地に入封したのが始まりです。2代頼水は慶長6年(1601)の関ヶ原の戦いで戦功を上げ旧領である諏訪(高島藩)に移つされ代わって秋元長朝が1万石で入封しました。総社領内はこの時期整備され総社城だけでなく灌漑用水が完備され大規模な新田開発が行われています。2代泰朝が寛永10年(1633)に谷村藩(山梨県都留市)に移封されたことで総社藩は廃藩となります。総社城も廃城になったものの、城下には沼田城白井宿前橋城を結ぶ沼田街道西通りが通っていた事から宿場町的な機能が残されました。
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総社藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代諏訪頼忠15922.7万石 
2代諏訪頼水1592〜16012.7万石 
初代秋元長朝1601〜16281.5万石 
2代秋元泰朝1628〜16331.5万石 

総社藩
総社藩:城下町
総社藩:城下町
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総社藩城下町:名所・旧跡
居城
総社城
総社城
藩主菩提寺
元景寺
元景寺
藩主菩提寺
光厳寺:前橋市
光厳寺
藩主崇敬社
総社神明社
総社神明社


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