永泉寺(高崎市)概要: 大用山永泉寺は群馬県高崎市倉賀野町に境内を構える曹洞宗の寺院です。永泉寺の創建は天正元年(1573)、倉賀野城主、金井淡路守秀景が開基となり、自らの菩提寺にしたのが始まりと伝えられています。
境内は古寺らしく静寂な雰囲気があり奥まった所に最後の倉賀野城主で天正18年(1590)の小田原の陣で討死した金井淡路守(倉賀野秀景)の墓があります。
秀景の奥方が死去した際も永泉寺の境内に葬られましたが、その際、石仏風の霊石が出現しました。不思議な事にその石を移動しても、再び同じ所に戻ってくるので何時しか「幽霊石」と呼ばれるようになり現在は祠に収められ信仰の対象となっています。
又、古くから境内には「ムジナ」の一家が棲みかとして住み着いていたと云われ、明治時代初期に倉賀野に鉄道が敷かれた際は、余りの騒音から「ムジナ」一家が腹を立て、汽車を止めるべく永泉寺の住職や小僧、黒い化け物などに姿を変え様々な悪さをして妨害したと伝えられています。
境内は永泉寺砦と呼ばれ、倉賀野城の支城(出城)として機能していたとされ、周囲を囲む水路は砦時代の堀の跡と言われています。永泉寺本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行7間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。山号:大用山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来像。
永泉寺:上空画像
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