碓氷横川(安中市)概要: 碓氷横川は松井田宿(群馬県安中市松井田町松井田)と坂本宿(群馬県安中市松井田町坂本)の間にある集落で、中山道最大の関所といわれる碓氷関所(群馬県指定史跡)を控えていた要地でした。
碓氷関所は古代の官道である東山道時代からの関所とされ昌泰2年(899)に碓氷坂に設置され、江戸時代に入り本格的に中山道が整備されると現在地に移り、幕府の命により安中藩(藩庁:安中城)が警護、運営が任され、番頭2名(安中藩士)、平番3名(安中藩士)、同心5名(地元の郷士、手形の確認や受付など実務を担当)、中間4名(地元の郷士が2人が西門、安中藩の藩内から採用された2人が東門を担当)、箱番(中間、近隣の住民、掃除などの雑務担当)4名、女改め(西門番の妻女が担当)1名が常駐し厳しく人物改めや人物改めが行われました。
碓氷横川は正式な宿場町でなかった為に本陣は設置されませんでしたが、関所を控える交通の要所として茶屋本陣が2軒設けられました。茶屋本陣は正式な本陣ではありませんが、身分の高い人物しか利用出来ない式台付の玄関や上段の間が設けられ随所に格式の高い様式や意匠が採用され、本陣に準じる格式と機能を果たし参勤交代で大名が碓氷関所を通過するにあたり、旅装から正装に着替える為に利用しました。
横川茶屋本陣は代々横川村の名主を歴任した武井家が担い、現在も当時の姿を良く留めており中山道に残る数少ない茶屋本陣の遺構として貴重な事から群馬県指定史跡に指定されています。
碓氷横川にあった家屋は享和元年(1801)で84軒と比較的少なかったとされ正式な宿場町ではなかった事から大きな発展はしなかったと思われます。現在の町並みは建て替えが進んでいるものの、街道沿いには木造2階建て、切妻、平入りの建物にほぼ統一されていて、道路幅も狭く交通量が少ない為、落ち着いた雰囲気があります。
横川集落には昭和初期と思われる古民家が軒を連ねており群馬県の中山道沿いの集落の中では良好な町並みを見る事が出来ます。明治18年(1885)に開業した横川駅が出来てからの町並みとは思いますが風情ある町並みが続いています。
【碓氷峠】−古代から坂東(関東)と信濃国の国境として中央にも聞こえた存在で、日本書紀には日本武尊が東夷東征を完遂し、凱旋帰国する際に碓氷峠を越え、安房沖で入水し命を経った妻の弟橘媛を偲んだと記載されています。
律令制下の官道である東山道も開削され、平安時代には略奪行為が頻発した事から碓氷関が設置され厳しく取り締まれる事となりました。中世に入ると軍事用の要地として重要視されるようになり戦国時代には武田信玄が度々碓氷峠を越えて関東進出を図っています。
安中市松井田町横川:上空画像
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