笹森古墳(甘楽町)概要: 笹森古墳は群馬県甘楽郡甘楽町大字福島に位置しています。笹森古墳は6世紀後半に当時の当地方の首長クラスの有力豪族(彦狭島王・射狭君説有り)の墳墓として築造されたと推定される全長100mの前方後円墳です。
彦狭島王は豊城入彦命(崇神天皇皇子)の孫とされる古代の王族で、日本書紀によると景行天皇55年に東山道十五国都督に任ぜられたものの春日の穴咋邑で病死し、それを悲しんだ東国の領民が遺骸を密かに上野国に葬ったと記載されています。正式に埋葬されていないとすれば笹森古墳のような規模の大きな古墳を築く事は出来ない事からどちらかが間違っているのかも知れません。
笹森古墳の前方部は幅約65m、高さ約9m、後円部は径が約60m、高さ約8mは同時期の前方後円墳としては群馬県最大級で鏑川流域では最大の規模を誇り、表面は葺き石で覆われ、周囲には堀により囲われていました。石室の全長約16mは群馬県第2位の長さ、玄室は凝灰岩質の砂岩製、長さ約7.2m、幅約2.4m、高さ約2.5mとなっています。
9世紀に笹森古墳の頂上付近に笹森稲荷神社が勧請された為、神域として境内が保全され、社殿周辺以外は形状を非常に良く留め、笹森古墳の副葬品と思われる五鈴鏡が笹森稲荷神社の社宝となっています。石室も内部に石祠が建立されるなど神聖視され、大きな改変が余り見られません。笹森古墳は当時の大型古墳として貴重な事から昭和58年(1983)に群馬県指定史跡に指定されています。
笹森古墳:上空画像
|