武井廃寺塔跡

  群馬県:歴史・観光・見所桐生市:歴史・観光・見所>武井廃寺塔跡

概要・歴史・観光・見所

武井廃寺塔跡(桐生市)概要: 武井廃寺塔跡は群馬県桐生市新里町武井に位置しています。武井廃寺塔跡は周辺より僅かな土盛りの上に安山岩加工石があり中央に直径42p、深さ38pの穴があった事から塔心礎と仮定され古代の寺院跡として昭和16年(1941)に国指定史跡に指定されました。

しかし、これ以外に礎石や瓦などの建築資材、基礎跡が見つからず、又、地形が傾斜して寺院が建立していたとしては考えにくく不自然の事が多かった為、昭和44年(1969)に再発掘調査することになりました。

調査した結果、一辺が約7.8mの八角形の3段石積墳丘が発見された事で奈良時代近畿地方で築造された八角墳に類似点が多い事が分かりました。当時、中国から仏教や道教などが普及し実力者や支配者を示す意味で八角形を用いた例が多く関東の古墳でも少なからず影響があったとされます。

実際、群馬県内でも伊勢塚古墳(藤岡市)や神保一本杉古墳(高崎市:推定)が八角墳と推定され注視されています。又、安山岩の加工石は一見塔心礎にも見えるものの蔵骨器(火葬された人骨、又は、人骨を納めた骨壷)を納める石櫃とも見られ現在では寺院跡ではなく奈良時代の火葬墳墓だったと推定されています。とはいえ確定した訳ではないので、現在も石柱には「武井廃寺塔跡」と刻まれたままで、史跡名も同名が継続しているようです。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

武井廃寺塔跡:写真

武井廃寺塔跡
[ 付近地図: 群馬県桐生市 ]・[ 桐生市:歴史・観光・見所 ]
武井廃寺塔跡 武井廃寺塔跡 武井廃寺塔跡 武井廃寺塔跡
独り言
この手の話は結構微妙ですね。一度、偉い先生が鑑定した事を覆すのは中々難しいですね。桐生市の史書や観光マップ、案内板の書き換えや、石柱の撤去など多岐に渡ります。自分程度の見識では判断できませんが、一般的な古代寺院の礎石と比べると、柱を差し込む穴が大きく深いなぁーといった程度です。真実は何処にあるのでしょう。


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「群馬県:歴史・観光・見所」は「群馬県の歴史」、「郷土資料辞典−群馬県」、「日本の城下町−関東(一)」、「城郭と城下町−関東」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。