吾妻神社

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概要・歴史・観光・見所

吾妻神社(中之条町)概要: 吾妻神社は群馬県吾妻郡中之条町横尾に鎮座している神社です。吾妻神社の創建は不詳ですが伝承によると上古の時代(大和時代から大化の改新頃)だったとされ、当初は和利宮と称し御手洗山の山頂付近(現在の伊勢町)に鎮座していたそうです。

歴代領主に信仰され、特に中世、当地域を支配していた塩谷氏が篤く信仰し弘治2年(1556)、参拝に不便だった事から遥拝所があった現在地(横尾)に遷しています。文化9年(1812)4月19日の火災により多くの社殿、社宝、記録などが失われ、文政4年(1821)に再建されたました。

当初は吾妻七社明神(子持山・嵩山・鳥頭宮・山代明神・半手本明神・駒形明神・白専馬明神)の1社(嵩山に加若次郎和利が祭神として祀られていたとも)で和利宮や和流宮、割宮などと称していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され周辺町内の多くの産土神(151柱)を合祀した事で吾妻神社に改称し昭和3年(1928)には郷社に列しています。

現在の吾妻神社本殿は江戸時代後期の建物で三間社流れ造り、桁行3間、張間2間、銅板葺き、木鼻や蝦虹梁、壁面、隔板などの細部には獅子や龍の精巧な彫刻や木組が見られます。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、正面屋根には大きな千鳥破風が設えています。

境内は広く神門(入母屋、鉄板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚門)や神楽殿(木造平屋建て、入母屋、鉄板葺、妻入、桁行2間、梁間3間半、正面三方吹き放し)なども配され、拝殿には奉納された多くの絵馬(天保8年:1837年)や句額(文政6年:1823年)、算額(明治11年:1878年)があり、当時の俳人や民間信仰の様子が解る貴重なものとして平成6年(1994)に中之条町の重要文化財に指定されています。祭神:大穴牟遅命(大国主命)。

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吾妻神社:上空画像


吾妻神社:ストリートビュー

吾妻神社(本殿・拝殿):写真

吾妻神社境内正面に設けられた朱色の大鳥居と石造燈篭と石造社号標
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吾妻神社参道石畳みから見る神門と木製燈篭 吾妻神社神門から見た境内の様子 吾妻神社参集殿と思われる渋い建物 吾妻神社真っ直ぐ延びる参道の石畳み
吾妻神社境内に設けられた歴史が感じられる額殿 吾妻神社例祭で神楽が奉納されるであろう神楽殿 吾妻神社拝殿正面と石造狛犬と燈篭 吾妻神社本殿とそれを取り囲む透塀


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