沢渡神社(中之条町)概要: 沢渡神社は建久2年(1191)に大巳貴神(大国主神)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。当時は境内下にある沢渡温泉の湯治客が頻繁に参拝に訪れて賑ったそうです(祭神である大国主神は全国の温泉を発見、開発し広く効能を知らしめた事から温泉神とも呼ばれ、湯治客もその御利益を求めて参拝したと思われます)。
沢渡温泉は古くから開かれていたと言われ、奈良時代に編纂された万葉集での「左和多里能(サワタリノ) 手児尓伊由伎安比(テコニイユキアヒ) 安可麻我(アカコマガ) 安我伎乎波夜美(アガキヲハヤミ) 許等登波受伎奴(コトトハズキヌ)」の首の「左和多里」が沢渡温泉の事ではないかと推定されています(諸説あり)。
意味は「沢渡温泉(?)にいる若く美しい女性に会いにいったが、乗ってきた馬があまりにも速く歩いたので、話し掛ける事が出来なかった。」と訳せるそうです。
沢渡神社の境内には文政11年(1828)以前に当時の丸本旅館の主人福田六右衛門が建立した万葉歌碑(高さ95cm・幅55cm・厚さ25cm)が残っており「さわたりの てこにいゆきあい あが駒が あがきをはやみ こととはず来ぬ」と刻み込まれています。
又、鳥居脇にある双体道祖神は沢渡に残された3体の内の1体で(残りの2体は寛保3年(1743)の銘が刻まれた双体道祖神で湯原と前尻にあります)、元々は村境の二十三夜塔の隣にあり昭和20年代までは正月14日にどんどん焼きが行われていたそうです。祭神:大巳貴神、少彦名命他19柱。
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