普門寺(太田市)概要: 如意山円頓宝戒院普門寺は群馬県太田市世良田町甲に境内を構える天台宗の寺院です。普門寺の創建は平安時代の寛弘年中(1004〜1012年)に靜算(智證大師の法孫)によって開山されたのが始まりと伝えられています。
中世は宗門僧徒子弟の研修道場の談議所として寺運が隆盛し末寺200余ヵ寺を数え、戦国時代に入ると領主である金山城の城主由良氏の祈願所となり庇護されました。
江戸時代に入ると世良田に日光東照宮(栃木県日光市)の社殿が移され世良田東照宮が創建、その別当として天海僧正が長楽寺を再興し普門寺は長楽寺の末寺となります。
又、堂内に祀っていた八幡神像は新田政氏が造立したと伝わる事から三代将軍徳川家光の子長松の守護神となり寺領8石と厨子を寄進しました。享保2年(1717)の火災で多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し一時衰退しましたが文化文政年間に随時再建再興されています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により東照宮から分離した事で比叡山延暦寺(滋賀県大津市)の末寺となり周辺の神宮寺(八坂神社別当)、成就院、宝積院、安楽寺、正法院を合併しました。山号:如意山。院号:円頓宝戒院。寺号:普門寺。宗派:天台宗。本尊:釈迦牟尼如来、千手観音菩薩。
寺宝には上野国誌著者である毛呂権蔵の墓が昭和26年(1951)に群馬県指定史跡になっている他、岩松富純(下田島を領した交代寄合旗本)の母親である慶閑が寄進した梵鐘(天和元年:1681年鋳造、江戸神田鍛冶町の鋳物師宇田川善太郎重久作、青銅製、高さが128cm、口径55cm)が昭和61年(1986)太田市指定重要文化財に指定されています。
普門寺:上空画像
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