生品神社(太田市)概要: 生品神社は群馬県太田市新田市野井町に鎮座している神社です。生品神社の創建は不詳ですが豊城入彦命(第10代崇神天皇皇子、上毛野君や下毛野君の始祖)が上野の新田地域を開発した際、大己貴命の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
又、一説には天慶3年(940)、平将門が敗れると弟である平将頼も戦死、将頼の御霊が上州に勧請され生品明神と称するようになったとも云われています。平安時代に編纂され、上野国(現在の群馬県)の格式の高い神社を列記した「上野国神名帳」に「新田郡従三位生階明神」と記載されていることから少なくともそれ以前から鎮座していた事が窺えます。
その後、平安時代後期の天喜年間(1053〜1058年)、源義家が当社を訪れ奥州での戦の戦勝祈願を行ったとされます。ただし、天喜年間の奥州での戦乱とは前九年の役となり、そこで活躍したのは義家の父親である源頼義、しかも、当地は主戦場となった現在の岩手県や宮城県に行軍する経路からは生品神社の境内が大きく逸れている事から伝説の域を出ない印象を受けます(義家を代参にして態々当社に赴いたのかも知れませんが?)。
鎌倉時代末期の元和3年(1333)には新田義貞が後醍醐天皇の勅旨を受けこの地から鎌倉幕府倒幕の挙兵を挙げたとされ、当初、義貞の呼びかけに生品神社の境内に集まった兵は150騎程度でしたが鎌倉に近づくにしたがって数千騎に膨れ上がり僅か2週間で倒幕を完成させたそうです。明治時代以降は県社に列しています。
境内には義貞が軍旗を掲げて戦勝祈願した"神代木"や"旗揚げ塚"、"床几塚"などの史跡があり昭和9年(1934)に「生品神社境内 新田義貞挙兵伝説地」として、平成12年(2000)に名称「新田荘遺跡 生品神社境内」として国指定史跡に指定されています。
社宝である2振の刀剣は室町時代に制作されたもので、「兼善」銘のものは長さ79.4cm、反り3.1cm、銘無しのものは長さ84.5cm、反り3.0cm、何れも貴重な事から平成12年(2000)に太田市指定重要文化財に指定されています。
境生品神社の内にるクヌギの古木は新田義貞が幕府打倒の挙兵を挙げた際、大中黒の新田旗を掲げ戦勝祈願したと伝わるもので、明治37年(1904)に倒壊したものの、その一部が残され平成12年(2000)に太田市指定重要文化財に指定されています。
5月8日の生品神社例祭で奉納される鏑屋祭は義貞が幕府討伐の吉凶を占ったと伝わる儀式で古くから当神社に伝わるものです。生品神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺き、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付き、外壁は板張り。本殿は一間社流造、銅瓦棒葺き、三方浜縁、高欄付き、左右隔板付。旧県社。祭神は大己貴命、品陀和気命、建御名方神、他二十二柱。
生品神社:上空画像
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