満徳寺(太田市)概要: 満徳寺は群馬県太田市徳川町に境内を構えていました。満徳寺の創建は徳川家の祖とされる世良田義季が開基となり義季の娘である浄念尼が開山、歴代住職は新田家から輩出したと伝えられています。
徳川家康が関東の領主になった後の天正19年(1591)には家康は徳川家に縁がある寺院として境内の整備や寺領100石を寄進するなど庇護し、大坂の陣で豊臣家が滅ぶと千姫を入寺させ豊臣家と縁を切らせ本多忠刻と再婚させたとの逸話も残っています(実際に入寺したのは侍女の刑部の局で事実上の身代わりだったとも云われています)。
以来、江戸時代を通して幕府から庇護され寛永13年(1636)には三代将軍徳川家光より堂宇の整備が行われるなど堂宇の造営や修復は幕府が関わりました。
江戸時代は幕府の庇護の下、寺運も隆盛し、特に縁切寺として名を馳せていた事もあり、夫と離縁したい多くの女性が入寺し三年の修行の後縁切状が手渡されたそうです。明治維新後は庇護者を失い廃寺となりますが明治27年(1894)に地元の有志達が再興して今日に及んでします。
満徳寺は日本二大縁切寺(満徳寺と鎌倉の東慶寺の2寺、世界的にも縁切寺が存在していない事から世界二大縁切寺という人もいます。)として歴史的にも重要なことから昭和31年(1956)に群馬県指定史跡に指定されています。現在は太田市立縁切寺満徳寺資料館として整備されています。山号:徳川山。宗派:時宗。本尊:阿弥陀如来。
満徳寺:上空画像
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