白井宿: 源空寺

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概要・歴史・観光・見所

源空寺(渋川市・白井宿)概要: 源空寺白井宿の北側の外れ、一段高い高所に境内を構えてます。源空寺の創建は天正18年(1590)、本多康重が白井城に入り2万石で白井藩を立藩、康重の父親である本多広孝が照誉無哲を招いて開いたのが始まりとされ、慶長2年(1597)に広孝(享年70歳)が死去すると源空寺を菩提寺として境内に葬られます。

源空寺の境内は白井城から続く段丘の端部に位置し、北、東、西の3方には土塁が設けられ、白井城の防衛施設の役割を持ていたと思われます。慶長6年(1601)に康重は関ヶ原の戦いの功により岡崎藩(愛知県岡崎市)5万石へ加増移封となりましたが元和4年(1618)、康重の3男本多紀貞が1万石で白井藩主となっています。

元和9年(1623)、紀貞(享年44歳)に嗣子がなく死去した為、白井藩は廃藩となり庇護者を失いますが、白井宿は沼田街道西通りの要衝の町として維持され、源空寺も幕府からの庇護により寺領50石の朱印状を賜っています(周辺地域で朱印地を安堵されたのは空恵寺18石、子持神社20石、雙林寺30石)。

明治時代に入り庇護者を失った事で次第に衰退し明治40年(1907)頃には無住になりましたが、大正11年(1922)に再興しています。

源空寺寺宝の梵鐘は安永7年(1778)、鋳物師白井出身の太田氏、下野国(現在の栃木県)出身の丸山氏によって鋳造されたもので、高さ140Cm、口径76.5Cm、龍頭30Cm、徳川家康の菩提寺である大樹寺(愛知県岡崎市)のものを模倣したものとして伝えられ、第2次大戦中の際も由緒あるものとして供出を免れています。源空寺の梵鐘は昭和58年(1983)に渋川市指定重要文化財に指定されています。

境内奥には本多広孝(全性院殿前越州大守玉岸道楚大居士神儀:全高3.06m)、広孝夫人(長寿院殿誘誉宗引大姉霊儀:全高2.27m)、本多紀貞(源光院殿前備州然誉宗廓大居士:全高2.05m)の三基の墓碑が正徳5年(1715)の広孝120回忌の際、本多助芳(広孝系本多家5代、飯山藩主)によって建立され昭和58年(1983)に渋川市指定史跡に指定されています。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

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源空寺
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