四万温泉(群馬県中之条町)・歴史:概要 四万温泉は古くから伊香保温泉(群馬県渋川市伊香保町)と草津温泉(群馬県吾妻郡草津町)と共に上毛三名湯の1つとして知られてきました。四万温泉の開湯には諸説あり一説には永延年間に源頼光の家臣碓井日向守貞光(一説には周辺の地頭だった塩谷日向守定光)がこの地を訪れた際、夢枕に山神の化身である童子が現れ四万の病に効く霊泉の場所を教えたと言われています。又、一説には延暦年間、坂上田村麻呂が東夷東征の際この地を訪れた時源泉を発見し湯宿を設けたのが始まりとも言われています。
四万温泉は戦国大名にも愛され関東管領だった上杉憲政が度々利用した他、その後領主となった真田昌幸も積極的に四万温泉の整備に力を入れています。その際、四万温泉の湯守に命じられたのが田村彦左衛門で最初の湯宿を開いたとされる祖父の代から温泉開発に尽力を尽くしています。江戸時代中期になるとさらに開発が進み元禄4年(1691)には関善兵衛が湯場と宿を作り、現在の積善館の祖を築いています。
明治時代以降は一時衰退しましたがその後の整備と温泉の効能から峩々温泉(宮城川崎町)、湯平温泉(大分)と共に日本三大胃腸病の湯に数えられ明治時代に編纂された諸国温泉功能鑑(温泉番付:江戸時代後期の諸国温泉功能鑑の改訂版)では上州四万ノ温泉として前頭に格付けされています。
四万温泉は大きく日向見地区、ゆずり葉地区、新湯地区、山口地区、温泉口地区の5つ温泉街を形成され昭和29年には全国で始めて国民保養温泉の指定を受け(同時に青森県の酸ヶ湯温泉、栃木県の日光湯元温泉が指定されています。)、温泉療法医がすすめる「日本の名湯百選」に選定されています。
四万温泉の共同温泉は御夢想の湯(日向見地区)、河原の湯(新湯地区)、上之湯(山口地区)、山口露天風呂(山口地区)の4つで格安(無料又は寸志)で利用することが出来ます。
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国民保養温泉の選定基準
国民保養温泉地は温泉法第14条に基づいて環境省が指定 をした温泉地の事で以下のような基準があります。
・効能の高さ−泉効が顕著であること ・湧出量−豊富であること ・湧出温度−利用上適当な温度を有すること ・健全性-環境衛生的条件が良好であること ・周辺の景観・保養地としての環境−景観が優れていること ・医療設備、スタッフの充実−顧問医が設置されていること ・災害に対する安全性-安全であること ・交通の便-比較的便利又は便利になる可能性のあること
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