下仁田町(歴史)概要: 江戸時代には中山道の脇往還として上州姫街道(下仁田街道)が開削され下仁田町では下仁田宿をはじめ本宿宿、初鳥屋宿が開かれ、本宿宿には西牧関所が設置されました。
上州姫街道は参勤交代には利用されませんでしたが物資の往来は盛んで米を中心に生糸や麻、楮、煙草、漆などが取引されて各宿場は活気があったとされます。
特に下仁田宿からは砥沢宿(南牧村)を経て信州の佐久地方とを結ぶ街道が分岐し、砥沢宿近くの鉱山で産出される砥石は良質だった事から幕府御用となり、下仁田宿はその経路となりました。
幕末の元治元年(1864)に水戸天狗党900余名と幕府の名を受けた鎮圧軍高崎藩200余名との間で下仁田戦争が起こり天狗党4名、高崎藩36名の戦死者を出す激戦地となりました。
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