延養寺(高崎市)概要: 吠瑠璃山正法院延養寺は群馬県高崎市あら町に境内を構えている真言宗の寺院です。延養寺の創建は室町時代の至徳年間(1384〜1387年)、慶覚によって開かれたのが始まりとされ、その際、室町幕府初代将軍足利尊氏から授かった、弘法大師空海が自ら彫刻したと伝わる薬師如来像を祭ったと伝えられています。当初は上野国岩鼻村に境内を構えていましたが、永禄元年(1558)に領主である長野家の命で箕輪城の城下に遷されます。長野家が没落すると武田家、天正18年(1580)に井伊直政が箕輪城の城主になると井伊家から庇護され、慶長2年(1597)に徳川家康の命で直政が高崎城を築くと、翌年の慶長3年(1598)に現在地である高崎城の城下町に遷りました。
江戸時代に入ると幕府の庇護となり、慶安2年(1649)には3代将軍徳川家光から朱印地12石を安堵され、歴代将軍が追認しています。
延養寺の寺宝である神像は円空(江戸時代前期の僧で全国で12万体の仏像を彫り込んだとされます。)が制作したものとされ、高さ39.7p、檜材一木造、像の底に梅の木が描かれている事から天神像だったと推察されています。天神とは平安時代に右大臣にまで出世した菅原道真の御霊の事で、勤勉家だったの事から学問神として信仰されてきました。
「貫前神社大般若菩薩奥書」には延宝9年(1681)に円空が上野国に滞在していたことが記されている為、その前後に制作したものと推定されています。延養寺の円空作神像は平成9年(1997)に高崎市指定重要文化財に指定されています。
又、境内には羽鳥一紅(下仁田町出身、俳人、「文月浅間記」、「孝子小伝」など)の句碑があり「 はじめて 菊をつくる 植えて待てば げに 長月や きょうの きく 一紅 」と記されています。山号:吠瑠璃山。院号:正法院。寺号:延養寺。宗派:高野山真言宗。本尊:薬師如来。
延養寺:上空画像
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