白岩長谷寺(高崎市)概要: 白岩山長谷寺は群馬県高崎市白岩町に境内を構えている金峰山修験本宗の寺院です。白岩長谷寺の創建の由来には諸説あり、「長谷寺縁起絵巻」によると、朱鳥年間(686〜696年)に徳道上人が開山したと記されています。
一方、「坂東霊場記」によると当地は、修験道の開祖とされる役行者の修行の地とされ、当時の領主である高崎氏により観音堂を造営したのが始まりとされます。高崎氏が42歳の厄年を迎えた際、一人の旅僧が一夜の宿を求め、快く迎えると、実はその旅僧は高僧として知られた行基菩薩で、役行者縁の楊柳の木から本寺となる長谷寺(奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺)の本尊を模した十一面観音像を自ら彫刻し安置したそうです。
「上野国群馬郡白岩長谷寺慈眼院縁起」によると延暦年間(782〜806年)から大同年間(806〜810年)にかけては天台宗の開祖である伝教大師最澄や真言宗の開祖である弘法大師空海も白岩長谷寺を訪れ、仁寿元年(851)には在原業平(平安時代初期の貴族・歌人)が堂宇を修繕したとしています。
鎌倉時代の天福年間(1233)に成立した坂東三十三観音霊場の第15番札所に選定されると広く信仰が広がり多くの参拝者を訪れるようになり、一方、歴代領主や源頼朝、新田義貞、上杉氏などから帰依を受け特に天文元年(1532)に上杉憲政が伽藍を整備した事で寺運が隆盛し日本三長谷に数えられました。
永禄9年(1566)に武田信玄が箕輪城が攻めた際兵火により焼失し一時衰退しましたが、信玄の跡を継いだ武田勝頼が天正8年(1580)に世無道を招いて再興しています。
坂東三十三観音霊場第15番札所。新上州三十三観音霊場別格札所。群馬郡三十三観音霊場第31番札所。御詠歌:誰も皆な 祈る心は 白岩の 初瀬の誓ひ 頼もしきかな。山号:白岩山。寺号:長谷寺。宗派:金峰山修験本宗(修験道)。本尊:十一面観世音菩薩。
白岩長谷寺の秘仏である本尊の木造十一面観音立像は平安時代後期の作と推定される古仏像で、総高230p、像高180p、カヤ材、一木割矧造、群馬県内では当時代に制作されたものは少なく貴重な事から昭和50年(1975)に群馬県指定重要文化財に指定されています。前立像である木造十一面観音立像は鎌倉時代の作と推定される古仏像で、総高270cm、像高186cm、桧材、寄木造、金箔仕上げ、昭和50年(1975)群馬県指定重要文化財に指定されています。
白岩長谷寺本堂(天正8年:1580年に武田勝頼再建、木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺、平入、桁行5間、正面3間唐破風向拝付、特に唐破風に施された精緻な彫刻と極彩色豊かな着色が印象的です。)、仁王門(切妻、銅板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、木部朱塗り、「白岩山」の山号額、左右に仁王像安置)は貴重な事から昭和63年(1988)に高崎市指定重要文化財に指定されています。
白岩長谷寺:上空画像
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