高崎市: 小祝神社

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概要・歴史・観光・見所
小祝神社(高崎市)概要: 小祝神社は群馬県高崎市石原町(上野国片岡郡)に鎮座している神社です。小祝神社の創建は不詳ですが周辺には数多くの古墳が点在している事から当時の豪族の氏神だったとも、御神体が石である事から自然崇拝が源泉だったとも考えられます。記録的にも古く延喜元年(901)に編纂された日本三大実録によると元慶4年(880)には正五位が贈られ、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳には式内社、平安時代に上野国(群馬県)の有力神社を列記した上野国神名帳には「正一位小祝明神」、神道集には上野十二社の第七社(七宮)として記載されています。

以来周囲の産土神として民衆から信仰され歴代領主からも崇敬され社運も隆盛しましたが天文年間(1532〜1555年)の兵火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し一時衰退します。衰退は大きく江戸時代には石祠が祭られていた程度になっていたものの、江戸時代中期の正徳年間(1711〜1715年)に笠原豊前(武藏五社の祝人)が再興し高崎藩主安藤対馬守重信や間部越前守詮房の崇敬社となりました。古くから神仏習合し江戸時代には「小祝大明神」と呼ばれ、本地仏として薬師如来を奉斎し、別当寺院として石昌寺が担っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治5年(1872)に郷社、明治42年(1909)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。

現在の本殿は享保5年(1720)に当時の高崎藩主間部越前守詮房により造営されたもので三間社入母屋造り(桁行3間、梁間3間)、銅板葺(元檜皮葺)で正面には3間の向拝付き、外壁は真壁造り板張り、内部は正面2間分が寺院建築でいう外陣、後ろ1間分が内陣で構成され、内陣には厨子が設置され祭神が祭られています。建物は全体が極彩色で彩られ、壁面に彫刻したパネル状のものを嵌めこむといった工法を用いいます(この工法の神社建築としては高崎市最古)。小祝神社本殿は享保元年(1716)棟札と享保2年(1717)奉納額と享保4年(1719)寄進銘とともに平成14年(2002)に高崎市指定重要文化財に指定されています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、平入、桁行4間、張間2間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り木部朱塗り。幣殿は両下造り、銅板葺き、桁行1間、張間1間。神楽殿は入母屋、桟瓦葺き、妻入り、外壁は柱のみの吹き放し、例祭である4月と10月には神楽が奉納されています。又、境内には芭蕉句碑があり「 しばらくは 花の上なる月夜かな 」と記されています。祭神は少彦名命。合祀神:速玉男命、,大日ルメ命、五十猛神、健御名方神、大國主神、譽田別命、伊弉册命、宇氣母智神、倉稻魂神、大名持神、大山祇命、八衢姫命、菊理姫命、軻遇突智命、八衢彦神、久那止神、市杵嶋姫命、事解男命、素盞嗚命、菅原道眞。

小祝神社:写真

小祝神社
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