抜鉾若御子神社

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貫前神社・抜鉾若御子神社

[ 抜鉾若御子神社 ]
貫前神社・抜鉾若御子神社・概要: 抜鉾若御子神社は貫前神社の本殿向かって左側奥に鎮座しています。案内板によると「 抜鉾若御子神社は安閑天皇の御代に現れたと伝え上野国神明帳に従五位抜鉾若御子明神と記載されている。明治38年に一ノ宮字若宮の地より現在地に遷座され、現在の社殿は棟札によると文化12年の建立と伝う。」とあります。社殿は一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り、木部朱塗り、隔て板には龍、向拝木鼻には獏や獅子などの彫刻が施されています。祭神は貫前神社の主祭神である健経津主命(抜鉾大神)の御子神とされますが、実績は不詳。抜鉾大神は貫前神社の前身である咲前神社の由緒によると安閑天皇元年(534)に出現している事から、素直に従えば父神に従い同時期に当地に入った事になります。明治38年(1905)以前はどの様な経緯を辿たのかは判りませんが、社殿の規模から察すると大きな信仰の広がりは無かったと思われます。ただし、抜鉾若御子神を祭る神社は高崎市菊地町に鎮座する、抜鉾神社(上野国神名帳:群馬郡東郡・従五位 抜鉾若御子大明神)や高崎市宮沢町に鎮座する抜鉾神社(上野国神名帳:群馬郡西郡・従四位 抜前若御子明神)があり、何か関係があるのかもしれません。

写真1:境内下り参道 写真2:大鳥居 写真3:総門 写真4:唐銅製燈籠 写真5:楼門 写真6:拝殿 写真7:本殿 写真8:拝殿・本殿
写真9:神楽殿 写真10:勅使門・勅額鳥居 写真11:日枝社 写真12:スダジイ 写真13:銀杏 写真14:楼門拡大 写真15:拝殿軒唐破風 写真16:本殿・透塀
写真17:月読神社 写真18:雷神小窓(本殿) 写真19:抜鉾若御子神社 写真20:下り参道石段 写真21:上り参道石段 写真22:拝殿左斜め正面

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