諏訪神社(富岡市)概要: 諏訪神社の創建は不詳ですが諏訪大社(信濃国一之宮:長野県諏訪地方)の分霊が勧請されたのが始まりとされます。当初は上野国甘楽郡宮崎村に鎮座していました。
天正18年(1590)宮崎城が豊臣軍の上杉勢に攻められ落城、その後徳川家康の重臣奥平信昌が3万石で入封、慶長6年(1601)に信昌が美濃加納藩(岐阜県岐阜市)に移封になると宮崎城は廃城となり城下にあった民家は富岡に移され、それに伴い諏訪神社も現在地に遷座しました。
当地の鎮守として信仰され江戸時代に入ると幕府から庇護され3代将軍徳川家光から社領10石が安堵し朱印状が発布されています。祭神は諏訪大社と同様に建御名方之命、八坂刀売之命。境内社は大国神社、琴平神社、秋葉神社、神明宮、市場神社。
現在の社殿は昭和9年(1934)に大改築したもので拝殿は入母屋、平入、桟瓦葺、桁行5間、正面1間唐破風向拝付、木鼻には獅子、漠、向拝には精緻な龍と神子の透かし彫が施されています。
本殿は一間社、切妻、銅板葺、平入、正面千鳥破風、1間軒唐破風向拝付。上記の宮崎城とは天文年間(1532〜1555年)に宮崎和泉守が築いた城で、当時の城主小幡吉秀が北条氏に従った為、天正18年(1590)の小田原の役の際、上杉景勝の家臣藤田信吉に攻められ落城しています。
富岡諏訪神社:上空画像
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