大光院(新田義重:菩提寺)

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【 供養者 】 新田義重は源義家の3男の源義国の長男とされ、上野国新田郡西南部の「空閑の郷々」を開発し、それを保元2年(1157)藤原忠雅家(平家方)に寄進、これで藤原家の荘園として新田荘が成立し義重は下司職として新田性を名乗った事から新田氏の祖と言われています。子供達も周辺地域の開発に尽力し新田宗家を継いだ義兼、里見家を興した義俊、山名家を興した義範、世良田家を興した義季、額戸家を興した経義などの新田一族を輩出しています。源頼朝とは微妙な関係であった事から帰順には時間がかかり、初期の頃は頼朝の反感を買い信頼関係と程遠かったとされます。その為、弟である義康が興した足利家は本来格下にも係わらず逸早く頼朝に帰参した事から重用され、新田家は後塵を拝する事になりました。義重はその後出家し「上西入道」と称し、建仁2年(1202)に死去、享年89歳、戒名「大光院殿方西大禅定門」。又、江戸幕府を開いた徳川家康を輩出した松平家の祖は義重の4男、世良田義季=得川義季=徳河三郎義秀と後年徳川家が自称した事から、慶長16年(1611)には家康より鎮守府将軍に任官され、慶長18年(1613)には義重の追善供養の為、呑龍上人を招いて大光院を創建しています。ただし、現在では家康が領内経営や周辺大名との外交、朝廷との関係を良好する為に源氏の血族である新田家の後裔である事に固執し系図を意図的に改竄したという説が多いようです。大光院(太田市)の境内には義重の墓碑が建立されています。

【 寺  号 】 大光院
【 所在地 】 群馬県太田市金山町
【 創建年 】 慶長18年(1613)
【 開  山 】 呑龍上人(武蔵国埼玉郡一の割村出身、増上寺観智国師四哲の1人、大光院で入寂)
【 開  基 】 徳川家康
【 山  号 】 義重山
【 宗  派 】 浄土宗
【 本  尊 】 阿弥陀如来
【 備  考 】 新田義重の墓碑
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