仁叟寺(奥平家:菩提寺)

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【 菩提者 】 奥平家は村上源氏赤松則景の2男とされる氏行が、武蔵七党児玉党の児玉庄左衛門の養子となり上野国甘楽郡奥平郷を与えられ奥平家を興したのが始まりとされます。奥平貞訓は三河に進出した宗家8代貞俊の異母弟とされ応永元年から正長元年(1394〜1428)に菩提寺となる仁叟寺(高崎市)を創建し上州に残った奥平家の祖的存在となっています。大永2年(1522)に中興開基となった奥平貞能の詳細は不詳、一般的に貞能といえば、三河に進出した奥平家宗家の血筋で徳川家康に従い長篠の戦や姉川合戦で大功を挙げ、嫡男である貞昌(信昌)には家康の長女亀姫を正室として迎え、奥平家を中興させた人物ですが、生誕日が天文6年(1537)の為合致しません。上州奥平家にも貞能がいたのか、後年、宗家の名声を借り受けたのかも知れません。天正18年(1590)に上野国吉井領2万石の領主となった菅沼定利は奥平信昌とは従兄弟(定利の生母が信昌の叔母)にあたる人物で嫡子がいなかった事から慶長2年(1597)に信昌の3男である忠政を養子として迎えています。慶長7年(1602)に定利が死去すると仁叟寺に葬られ(150年後に玄太寺に改葬)、忠政は奥平家に復帰し田峯菅沼家は断絶しています。長谷川讃岐守正吉は当地の旗本で慶長13年(1608)に死去、戒名「祖庭院殿趙英宗伯大居士」。長谷川淡路守正信は父である正吉を継いで当地の旗本となり寛永16年(1639)死去、戒名「長松院殿惠林了智大居士」。溝口信勝は沢海藩主溝口善勝の4男として生まれ、旗本として当初は大和国に所領がありましたが天和元年(1681)以降、上野国緑野・多胡・甘楽・碓氷4郡の内に所領が移され元禄4年(1691)に死去、享年70歳、戒名「智光院殿實参了心大居士」、菩提は江戸貝塚青松寺に葬られたとされますが、仁叟寺の墓碑の規模が高さ210cm、幅92cm、厚さ77cmと圧倒しており当寺の方が本墓であると推定されています。又、吉井城下の豪商である秋山家は仁叟寺の大旦那で歴代の墓碑が建立されています。

【 寺  号 】 仁叟寺
【 所在地 】 群馬県高崎市吉井町神保
【 創建年 】 応永元年から正長元年(1394〜1428)
【 開  山 】
【 開  基 】 奥平貞訓
【中興 開山】 直翁裔正禅師(渋川市中郷雙林寺4世)
【中興 開基】 奥平貞能
【 山  号 】 天祐山
【 宗  派 】 曹洞宗
【 本  尊 】 釈迦三尊像(高崎市指定重要文化財)
【 備  考 】 境内一帯−高崎市指定史跡−指定日:昭和46年
群馬県大名菩提寺
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