金龍寺(横瀬家・由良家:菩提寺)

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【 菩提者 】 横瀬家は武蔵七党(横山党、児玉党、猪俣党、村山党、野与党、丹党、西党)の横山党、又は猪俣党の一族とされる時清が新田荘横瀬郷を与えられ、地名から横瀬氏を称したのが始まりとされます。跡を継いだ貞氏は足利氏と新田氏の後裔にあたる岩松氏に従い、代々横瀬家は重臣として重用されます(貞氏は新田義貞の3男・新田義宗の子で横瀬時清の養子になったとされますが、戦国時代、横瀬氏は下克上により主家である岩松氏領を乗っ取っている事から正当性を主張する為に捏造されたと考えられています。又、徳川家も新田氏の後裔を自称した為、同族として有利にする為に捏造したとも云われています)。国繁の時代に入ると岩松家執事として領内を采配する立場となり、跡を継いだ成繁は主家である尚純とその父親(又は祖父)である明純を更迭させ、金山城を掌握、尚純の嫡子で幼少だった夜叉王丸を擁立、反対したその他の家臣達も一掃され事実上、旧岩松領を掌握しています。さらに、享禄2年(1529)、実権を取り戻す為に行動した夜叉王丸(岩松昌純)を殺害、残った岩松一族を軟禁し下克上が完遂されました。泰繁を継いだ成繁は天文5年(1536)には「家中法度」「百姓仕置法度」を発令するな領内を整備し専横感を薄め正当性を強調する為か?永禄8年(1565)には新田氏縁の地名から由良氏を名乗りました。又、領内の掌握の為、社寺の保護にも尽力し、三夜沢赤城神社(群馬県前橋市)の本殿に安置されている宮殿(群馬県指定文化財)の扉には「源成繁寄納」の銘があり成繁が奉納した事が窺えます(三夜沢赤城神社は延喜式神名帳に名神大社、上野国二宮として領主や為政者から崇敬された神社)。戦国時代の新田領は越後上杉氏、甲斐武田氏、小田原北条氏、常陸佐竹氏などの大大名に囲まれたていた為、由良氏はその都度主家を替えていましたが概ね不本意ながら小田原北条氏に従わざるを得ない状況だったようです。天正18年(1590)の小田原の役では当時の金山城の城主国繁は小田原城に軟禁状態だった為、豊臣方に敵対する講図となっていましたが、国繁の生母である妙印尼と嫡男貞繁が豊臣方として行動した為、改易は免れ常陸国牛久領5千4百石が与えられました(形式上は領地は妙印尼に与えられ、それを国繁が譲られた)。由良氏の本城だった金山城(太田市)の麓にある金龍寺(太田市)は横瀬家・由良家の菩提寺で境内には先祖の墓碑(9基)が建立され、その中でも新田義貞の供養塔が異彩を放っています。応永24年(1417)に金龍寺の禅龍和尚が称念寺(福井県坂井市丸岡町)から新田義貞の遺骨(分骨?)を持ち帰り塚を設けたとされます(供養塔は寛永14年年:1637年、新田義貞の300回忌に建立、遺骨又は分骨は移封先の牛久の金龍寺に移されたと思われます)。

【 寺  号 】 金龍寺
【 所在地 】 群馬県太田市金山町
【 創建年 】 元享元年(1321)
【 開  山 】 天真自性和尚
【 開  基 】 新田義貞
【 山  号 】 大田山
【 宗  派 】 曹洞宗
【 本  尊 】 釈迦如来
【 備  考 】 金龍寺の由良氏五輪塔並びに新田義貞公供養塔−市指定重要文化財−指定日:昭和49年
群馬県大名菩提寺
酒井家牧野康成秋元景朝秋元家榊原家小松姫真田信吉真田信守土岐家真田信利徳川忠長菅沼定利島家奥平家金井秀景織田家小幡家唐梅院・隆崇院大道寺政繁佐々木盛綱七日市藩前田家稲垣家藤原秀郷横瀬家・由良家新田義重世良田家・得川家脇屋義助本多家白井長尾家富岡家桐生家由良成繁
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