光厳寺(秋元家:菩提寺)

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【 菩提者 】 秋元家は嘉禄年間(1225〜1226年)、宇都宮頼綱の子供である泰業が上総国周淮郡秋元荘を賜り、地名から秋元姓を名乗ったのが始まりとされます。何時頃から深谷上杉家に仕えるようになり秋元景朝の代には深谷上杉氏四天王の1人として台頭し正室には当事の関東管領上杉憲政の養女(春:光厳院)を迎えています。深谷上杉家が小田原北条家に破れると北条家に従いますが天正18年(1590)の小田原の役では長朝(景朝の子)は豊臣家に与し、さらに徳川家康の家臣となり文禄元年(1592)に上野国碓氷郡中野谷領500石が与えられています。その後は徳川家譜代の家臣として尽力し慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは東軍として行動、戦後は上杉景勝投降に功があり慶長6年(1601)には旧領である総社領(群馬県前橋市)1万石が与えられ総社藩を立藩しています。長朝は行政的にも優れ総社城の築城や城下町の町割だけでなく用水を整備する事で新田開発を積極的に行ない実石で2万7千石になったとされ領民からも慕われました。泰朝は徳川家康の側近として重用され1万5千石に加増、家康の死後は遺骸を久能山(静岡県静岡市)から日光(栃木県日光市)への改葬を取り仕切り、日光東照宮奥之院造営にも尽力し、寛永10年(1633)に谷村藩(山梨県都留市)に1万8千石で移封となっています。秋元喬知は老中職など幕府の要職を歴任した事で度々石高加増が行われ正徳元年(1711)には5万石で川越藩に移封、涼朝も老中などを歴任し明和4年(1767)に6万石で山形藩(山形県山形市)に移封、弘化2年(1845)には志朝が6万3千石で館林藩(群馬県館林市)に移封となっています。秋元家は度々移転しましたが菩提寺は光厳寺(前橋市)と変らず、境内には歴代当主の墓碑が建立され前橋市指定史跡に指定されています(光厳寺の正面にある宝塔山古墳が墓域)。

【 寺  号 】 光厳寺
【 所在地 】 群馬県前橋市総社町総社
【 創建年 】 慶長6年(1601)
【 開  山 】 亮應和尚(当時は徳蔵寺の僧)
【 開  基 】 秋元長朝(総社藩初代藩主)
【 山  号 】 秋元山
【 宗  派 】 天台宗
【 本  尊 】 釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩
【 備  考 】 秋元氏歴代墓地−前橋市指定史跡−指定日:昭和56年
群馬県大名菩提寺
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