西方寺(桐生家:菩提寺)

  群馬県:歴史・観光・見所(ホーム)>西方寺(群馬県・桐生市)
【 菩提者 】 桐生家は藤原秀郷の後裔とされる佐野氏の一族で、鎌倉時代後期に綱元が桐生郷を与えられ、その後地名から桐生氏を名乗ったとされます。諸説あり享徳2年(1453)佐野直綱が桐生郷の代官職に就任した事から直綱を初代とする説や系図集である「尊卑分脉」に綱元が記載されていない事から架空の人物だったという説、桐生六郎の子孫説もあります。桐生国綱が中興の祖とされ、正平5年(1350)には桐生城(柄杓山城)を築城し菩提寺である西方寺を整備しました。諸説あり国綱は実在しない架空の人物だったという説もあります。助綱の代が桐生家の最盛期とされ天文元年(1531)にはは仁田山赤萩地方に侵攻し、天文13年(1544)には敵対していた細川内膳や膳因幡守などに勝利し関東管領であった上杉憲政に従いました。助綱の養子には同族である佐野家から親綱を迎えた為、桐生家譜代の家臣と佐野家から派遣された家臣とで対立し弱体化します。諸説あり佐野家の系図では親綱が存在しない事から架空の人物だったという説もあります。元亀4年(1573)、その間隙を突いて由良成繁が侵攻し桐生城(柄杓山城)は落城、親綱は生家である佐野家を頼り落ち延び、事実上桐生家は没落します。桐生家は資料が曖昧なものが多く存在自体を疑問視する専門家も多いようです(桐生家では無くそもそも佐野家の分家で、江戸時代以降に便宜上に桐生家とされた)。西方寺(桐生市)には桐生氏関係者と思われる墓碑が多数建立され義綱、親康、重綱、助綱の4名の銘が明確な事から少なくとも桐生家の準じる氏族が存在し上記4名は実在したと思われます。

【 寺  号 】 西方寺
【 所在地 】 群馬県桐生市梅田町
【 創建年 】 安貞年間(1227〜1229年)
【 開  山 】 宇都宮頼綱(実信房蓮生)
【 開  基 】
【 山  号 】 梅田山
【 宗  派 】 臨済宗建長寺派
【 本  尊 】 阿弥陀如来
【 備  考 】 西方寺桐生氏累代の墓(層塔1基・五輪塔13基)−桐生市指定史跡−昭和37年
桐生義綱、親康、重綱、助綱の4名だけが判別可、12基が室町時代、2基が江戸時代と推定されています。
群馬県大名菩提寺
酒井家牧野康成秋元景朝秋元家榊原家小松姫真田信吉真田信守土岐家真田信利徳川忠長菅沼定利島家奥平家金井秀景織田家小幡家唐梅院・隆崇院大道寺政繁佐々木盛綱七日市藩前田家稲垣家藤原秀郷横瀬家・由良家新田義重世良田家・得川家脇屋義助本多家白井長尾家富岡家桐生家由良成繁
※ 文章や画像のコピーは御遠慮ください。御理解の程よろしくお願いします。