正法寺(脇屋義助:菩提寺)

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【 菩提者 】 脇屋義助は新田氏本宗家の7代当主新田朝氏の次男として生まれ、兄は鎌倉幕府を倒幕した新田義貞、居館が上野国新田荘脇屋(現在の群馬県太田市脇屋町)にあった事から脇屋氏を称しました。当初は兄義貞と共に幕府側として行動していましたが、幕府からの追税を拒否し使者を殺害したことから関係が悪化し、所領の一部が没収され、さらに新田荘への討伐が計画されました。義助はこのような事態を打開する為、倒幕を発案し一族の承認を得た事から元弘3年(1333)、義貞を筆頭に新田荘生品神社にて挙兵し倒幕を果しました。義助は義貞の補佐役に徹していたものの、倒幕後は正五位下(後に正五位上、従四位下)に列し、左衛門佐や駿河国守護職などの要職に付いています。延元3年(1338)、義貞が越前国藤島の灯明寺畷で行われた藤島の戦いで討死すると、事実上南朝方の総大将的な立場となり北朝方と対峙し越前黒丸城などを攻略しましたが興国2年(1341)には杣山城が落城し北陸地方の南朝方の勢力は著しく後退しています。興国3年(1342)、四国に渡り南朝の再起を図りましたが、発病し伊予国府で死去、享年38歳、戒名「正法寺殿傑山宗栄大居士」。廟所は愛媛県今治市の金光山最勝院国分寺(脇屋義助廟堂:現在ものは寛文9年:1669年、今治藩士町野政貞らが再建)、鳥取県倉吉市打吹の大蓮寺(脇屋義助の墓)、群馬県太田市の安養寺(脇屋義助の追善板碑)、そして菩提寺とされる群馬県太田市の正法寺(脇屋義助の遺髪塚)とされます。

【 寺  号 】 正法寺
【 所在地 】 群馬県太田市脇屋町
【 創建年 】 延喜年間(900〜922)
【 開  山 】 聖宝(京都の醍醐寺を開山)
【 開  基 】 源経基(経基流清和源氏の初代)
【 山  号 】 脇屋山
【 宗  派 】 高野山真言宗
【 本  尊 】 聖観世音菩薩
【 備  考 】 脇屋義助の遺髪塚
群馬県大名菩提寺
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