沼田城薬医門(川場村)概要: 案内板によると「 この門は、本柱が門の中心線上から前方にずれ、本柱と控柱を結ぶ梁の中間の上に束をのせさらに切妻屋根をのせている。棟は、本柱の扉筋の線上から後方にずれ、城門の一種として使われていた薬医門としての特徴を表している。繻エ吉右衛門は、沼田藩のまつりごとに、名主として多くの協力をしてきた。明治初期、沼田城解体のおりにこの門を譲り受け、一部修復し川場の地に移したと伝えられている。この歴史ある門を後世に残すため、母屋とともにこの地に移築した。 」とあります。繻エ吉右衛門は豪農として知られ吉祥寺山門の建立や十三仏、十六羅漢欄間などを寄進し文化的な事業でも功績を残しています。沼田城は沼田藩の藩庁が置かれ城で領内の中心的な施設でしたが明治6年(1873)に廃城令が発令されると廃城となり多くの建物は払下げや取り壊わされ、現在残されている遺構は川場村を含めて数棟の城門が残されているのみです。
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