神代文字の碑

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前橋市:赤城神社

[ 三夜沢赤城神社:神代文字の碑 ]

三夜沢赤城神社・神代文字の碑: 神代文字の碑は自然石の表面を平に加工したものに刻まれたもので三夜沢赤城神社の参道沿いに建立されています。案内板によると「 一般に日本民族は漢字が伝わる以前は、文字というものを知らなかったとされているが、伝説ではそれ以前に神代文字と呼ばれるものがあったといわれ、現在はっきりしているものだけでも数種類にもなります。この碑文は復古神道を体系づけ実践化し、又「神字日文伝」の著作者で神代文字肯定者の一人でもある江戸時代の国学者平田篤胤の養子鐵胤が、上部の神文については、鐵胤の子延胤が撰文し、書は篤胤の門人権田直助によるものです。神文については、対馬国「阿比留家」に伝わる神代文字(阿比留文字)で書かれ、復古神道の遺物として重要なもので明治3年3月に建てられました。 前橋市教育委員会 」とあります。神代文字の碑は昭和53年(1978)に前橋市指定文化財に指定されています。

阿比留文字は対馬国(長崎県対馬市)の卜部氏・阿比留氏に伝わったとされる古代文字で、一見すると朝鮮半島のハングル文字の簡略化したような印象を受けます。平田篤胤は神代文字の研究にも熱心だったようで著書である「神事日文伝」で「阿比留文字」を紹介しています。阿比留氏には阿比留草文字も伝わっており、こちらは全国の著名な神社で神璽や守符に用いられている例が見受けられ一定の広がりがあります。三夜沢赤城神社にある神代文字の碑の神代文字は「マナヒトコロノナレルユエヨシ」と訳されるようですが、何故、三夜沢赤城神社の境内に建立されたのかは良く判りませんでした。

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