前橋市(歴史)概要: 前橋市周辺は古くから開けていた地域で 4世紀には天神山古墳や八幡山古墳が築造され、以来、二子山古墳、宝塔山古墳など7世紀まで700余の古墳が点在しています。律令政治下の上野国府も現在の総社神社境内付近に設置(推定)や、国分寺、山王廃寺などの寺院も建立され前橋市は文字通り上野国の中心的役割を担ってきました。中世に入ると長野氏などが台頭してきますが、周囲には上杉氏、武田氏、小田原北条氏などの大大名が割拠し、その都度支配者が変わり、戦国末期には一時織田家家臣滝川一益が支配しますが、織田家が没落すると小田原北条家が入り、天正18年(1590)に北条家が滅ぶと徳川家康が支配する事に成ります。
前橋市一帯は徳川家家臣平岩氏が3万3千石で入封し、慶長6年(1601)からは酒井重忠が前橋藩の藩主となります。酒井家は9代、150年間藩主として支配し現在の前橋市の基礎となる領内整備を行い、当時「厩橋」と呼ばれていた地名も「前橋」に改称しています。
寛延2年(1749)から松平氏が藩主となり引き続き領内整備を行っていましたが明和4年(1767)に利根川の大洪水により前橋城が壊滅的破壊を受け、城を川越へ移した為、藩主不在の状態が約100年も続きました。慶応3年(1867)に前橋城が再建され、再び松平氏が前橋で政務を行いましたが翌年には明治維新が起こり明治4年(1871)には廃藩となっています。
又、交通の要衝でもあり、沼田城の城下を結ぶ沼田街道や、白井宿を経由する沼田街道西通り、東に向かう大胡道、南に向かう江戸道の起点となっていました。
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