三夜沢赤城神社

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概要・歴史・観光・見所

三夜沢赤城神社(前橋市)概要: 三夜沢赤城神社は群馬県前橋市三夜沢町に鎮座している神社です。三夜沢赤城神社の創建は不詳ですが古代上野国を支配した上毛野君(豐城入彦命子孫)を祀っている事からも古くからの産土神として信仰されてきたと思われます。

上毛三山である赤城山(標高:1827.6m)、妙義山(標高:1103.8m・妙義神社)、榛名山(標高:1449m・榛名神社)は古くから霊山・神山として信仰の対象だった存在で、上野国の象徴的な存在と朝廷の権力を融合させる事でより円滑に支配を固めていったと思われます。

特に赤城山の麓には巨大な古墳が点在し、当時の上野国の権力者と赤城山の祭祀が密接に関わっていた事が窺えます。赤城山荒山の中腹にある「櫃石」は古墳時代中期の祭祀跡と推定され、高さ2.8m、最長4.7mの巨石を中心に自然石や祭祀遺物が発見され貴重な事から昭和38年(1963)に群馬県指定史跡に指定されています(櫃石付近から出土した硬玉製勾玉は昭和14年:1939年に国の重要美術品に認定されています)。

赤城神社は続日本後紀によると承和6年(839)に従五位下、日本三代実録によると貞観9年(867)に正五位下、貞観11年(869)に正五位上、貞観16年(874)に従四位下、元慶4年(880)に従四位上、長元9年(1028)には正一位の格式を賜り、延喜式神名帳には名神大社に列せられ、上野国十二社の内貫前神社(群馬県富岡市)に次いで二ノ宮となっています(当初、赤城神社が上野国一ノ宮だったそうですが機を織っている時に「くだ」が不足になり、貫前神社に借りて織り上げたので、織物が上手で財を持っている貫前神社に一の宮を譲ったといわれています)。

赤城神社は早くから神仏習合の形態を取り入れ小沼の神は虚空蔵、大沼の神は千手観音が本地となり、時代が下がってから地蔵菩薩が加わったとされます。当初の三夜沢赤城神社は東社と西社の2社に分かれていて、東社には地蔵菩薩が祭られ、西社に小沼の神と大沼の神が祀られていましたが、貞和元年(1345)頃、現在地である東社の境内に西社が遷座し、両社が並存する形態となりました。

三夜沢赤城神社は歴代領主や支配者から崇敬され鎌倉幕府三代将軍源実朝は「上野の勢多の赤城のやしろ やまとにいかで あとをたれけむ」の唄を残し、上杉氏(永禄3年:1560年に上杉謙信が戦勝祈願)、武田氏、北条高広、小田原北条氏、大胡氏(天正13年:1585年に大胡高繁が社領寄進、三夜沢赤城神社の分霊を大胡城の鎮守社である大胡神社に勧請)、由良氏(由良成繁が宮殿奉納)、長野氏、牧野氏(大胡藩2代藩主牧野忠成が慶長18年:1613年に社領寄進)、酒井氏(慶安2年:1649年に前橋藩4代藩主酒井忠清が黒印状発布)など大大名から地元領主まで多くの祈願文や寄進状が残されています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、東西両社が統一、別当神宮寺であった東社の竜赤寺と西社の神光寺が廃寺となり赤城神社として独立し、明治4年(1871)に郷社、明治12年(1879)に県社、昭和19年(1944)に国幣中社昇格の内示が出されています。

赤城神社の本社は当社と赤城山山頂に鎮座する元社(大洞)、麓にある二宮赤城神社の三社が名乗っていて、記録の散逸などで詳細は不明ですが、元々の本社は二宮赤城神社とされ、戦国時代に北条氏の兵火により衰退したことで、その山宮とされる西社を擁する三夜沢赤城神社東社が本社の地位を確立、江戸時代に入ると前橋藩の藩庁が置かれる前橋城から鬼門に当る為藩主から崇敬された元社(大洞)が急速に力と権威を付けたという説が有力なようです。

赤城神社信仰は広く群馬県118社、埼玉県23社、栃木県9社、茨城県10社、新潟県13社、福島県11社あり合祀されたものを合わせると334社に達するそうです。祭神:大己貴命、豊城入彦命。

現在の三夜沢赤城神社本殿(神明造:木造平屋建て、切妻、平入、銅板葺、桁行3間、梁間2間、外壁は真壁造板張り)、中門(四脚門:一間一戸、切妻、銅板葺)は、明治2年(1872)に建立されたもので、時代背景から復古神道の影響をうけた代表的神社建築として貴重な事から昭和48年(1973)に群馬県指定重要文化財に指定されています。

拝殿は明治27年(1893)に火災により焼失しその後、再建されたもので、木造平屋建て、神明造、切妻、平入、銅板葺、桁行6間、梁間3間、外壁は真壁造板張り。神楽殿は拝殿と同時期に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造板張り(正面2方向は柱間建具嵌め込み)。

三夜沢赤城神社惣門は宝暦元年(1751)に建てられた三夜沢赤城神社境内にある最古の建物として貴重な事から昭和53年(1978)に群馬県指定文化財に指定されています。

三夜沢赤城神社本殿内宮殿は戦国時代に金山城の城主由良成繁が奉納したもので、宝形造(頂部:鳥型の飾り)、板葺き、桁行1間、梁間1間、総高117cm、軒幅98.2cm、外壁は極彩色と金箔、室町時代末期の遺構として貴重な事から昭和38年(1963)に群馬県指定重要文化財に指定されています。

境内に生える「たわらスギ」は藤原秀郷(俵藤太)が平安時代後期に平将門乱を平定する為に三夜沢赤城神社に参拝に訪れた際、奉納したと伝わるもので、樹高約60m、幹周5.1m、根元周囲6.0m・樹高約60m、幹周6.1m、根元周囲9.6m・樹高約60m、幹周4.7m、根元周囲5.6mの3本が昭和48年(1973)に群馬県指定天然記念物に指定されています。

三夜沢赤城神社の文化財
・ 勾玉−古墳時代−硬玉製−国認定重要美術品
・ 本殿内宮殿−戦国時代−一間社宝形造−群馬県指定文化財
・ 本殿並びに中門−明治2年−神明造−群馬県指定文化財
・ 三夜沢赤城神社の古文書−群馬県指定文化財
・ 惣門−宝暦元年−切妻、一間一戸、高麗門−群馬県指定文化財
・ たわらスギ−藤原秀郷(俵藤太)−群馬県指定天然記念物
・ 神代文字の碑−神代文字の碑−前橋市指定文化財
・ 宝塔(赤城塔)−室町時代−総高124.5cm−前橋市指定文化財
三夜沢赤城神社:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


三夜沢赤城神社:ストリートビュー

三夜沢赤城神社:社殿・境内・参道・写真

三夜沢赤城神社境内正面に設けられた格式が感じられる大鳥居(神明鳥居)と石造社号標
[ 付近地図: 群馬県前橋市 ]・[ 前橋市:歴史・観光・見所 ]
三夜沢赤城神社参道の苔生した石畳みと石燈篭と玉垣。聖域に相応しい空間です。 三夜沢赤城神社参道石段から見上げた拝殿。深い緑とのコントラストが印象的です。 三夜沢赤城神社拝殿左斜め前方と歴史が感じられる銅製天水桶。シンプルな拝殿も中々良いです。 三夜沢赤城神社境内に生える大木越に見える中門。「たわら杉」が門杉になっています。
三夜沢赤城神社の境内に生える「たわら杉」の大木。歴史が感じられる大木です。 三夜沢赤城神社本殿と透塀。神明造は社殿の古い形式を継承しています。 三夜沢赤城神社境内に建立されている神楽殿。神楽殿も端正な印象を受けます。 三夜沢赤城神社に建てられた神代文字の碑。神代文字は本当に不思議ですね。
独り言
境内は古社の雰囲気が充満し、近くまで来たら是非よってもらいたい神社の一つです。深い森に囲まれているものの、境内は明るく、清楚で澄んだ空気が流れているようで、深い歴史が肌に感じられるようです。社殿も神明造という神社の源の形式を踏襲しているせいか、華美な意匠を排しこの空間にマッチしています。


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