渋川宿(三国街道)

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渋川宿(三国街道)
【渋川宿】渋川宿三国街道宿場町として成立した町です。渋川宿は三国街道と佐渡奉行街道と伊香保街道、白井宿(群馬県渋川市白井)を結ぶ間道が交差した事で、多くの人達が往来しました。渋川宿には上ノ町、中ノ町、下ノ町の3町が交互に市が開かれ、活況を呈しました。渋川宿に位置する後藤家には江戸時代末期に幕府の近代化に尽力し、無実の罪で明治新政府から処刑された小栗上野介の「小栗上野介日記及び家計簿」が保管され昭和31年(1954)に群馬県指定文化財に指定されています。当時の当主後藤八郎右衛門は県吏員で小栗上野介の処刑に立ち会った際、日記・ 家計簿も焼却処分になるところを持ち帰り保存していたそうです。家計簿は嘉永3年(1850)から文久3年(1863)まで合計4冊、日記は慶応3年(1867)から翌年までの2冊で幕末の資料として貴重な存在です。

渋川宿の鎮守である渋川八幡宮は建長年間(1249〜1256年)に当時の領主渋川義顕が鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の祭神を勧請したとも康元年間(1256〜1257年)に長尾景煕により社殿が造営されたとも云われます。以来、当地の鎮守として篤く信仰され例祭で引かれる山車は北関東一とも呼ばれる程の壮麗な造りとなっています。本殿は江戸時代初期の慶長7年(1602)に入沢新左衛門の尽力により造営されたもので間社流造、瓦葺、群馬県指定文化財に指定されています。

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