渋川宿概要: 渋川宿は三国街道の宿場町で本陣、脇本陣は設置されなかったものの、旅籠が5軒認められ家屋も300〜400間と比較的大きな宿場町でした。
中山道の新町宿から玉村宿、総社宿を経て至る佐渡奉行街道と、沼田街道西通りの白井宿とを結ぶ街道、伊香保温泉を経由する伊香保街道と三国街道の合流地点で、多くの人々が行きかう交通の要衝として発展しました。
慶長18年(1613)には上ノ町、中ノ町、下ノ町が成立、宿場の長さは4町に達し、寛永7年(1630)には市場町となっています。承応3年(1654)には六斎市の日付と分担が、上ノ町が2日と17日、中ノ町が7日と22日、下ノ町が12日と27日となり、取引する商人や商品なども同時に定められています。
現在は渋川市の中心地として開発され為、古い町並みは余り見られませんが旧渋川公民館(旧有限責任渋川信用組合:市指定重要文化財)や堀口家住宅(国登録有形文化財:堀口家は江戸時代から続く老舗金物で、江戸時代後期には上州鉛銭を鋳造し明治時代以降は有力金物業者として発展。)など当時の繁栄が偲ばれます。
渋川宿の中心部近くにある真光寺は平安時代に慈覚大師円仁により開かれたと伝わる古社で寺宝が多く洪鐘や壱銭職の正徳太子塔、木彫狛犬、真光寺涅槃図などを所有し江戸時代には天台宗の関東五ヶ寺にも数えられました。
渋川宿の鎮守である渋川八幡宮は建長年間(1249〜1255年)に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の分霊を勧請したのが始まりと伝わる古社で本殿が群馬県指定重要文化財に指定されています。
三国街道:宿場町・再生リスト
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