東禅寺(沼田市)概要: 東禅寺所有の勝軍地蔵雨宝殿は沼田藩主土岐家の祈願寺であった勝善寺の御堂だったものです。文政11年(1828)、9代土岐頼功が建立したもので、入母屋、銅板葺、平入、桁行き8.23m、梁間8.1m、正面には唐破風付の向拝を配し12代藩主頼和が奉納した「雨宝殿」の額が掲げられ、向拝や欄間などに龍や鳳凰、中国故事を模した緻密な彫刻が随所に施されています。勝軍地蔵雨宝殿は江戸時代後期に建てられた御堂建築で藩主縁である事からも歴史的な価値があるとして昭和52年(1977)に沼田市指定重要文化財に指定されています。
又、境内には東京品川区にあった土岐家の菩提寺春雨寺から土岐家の墓石(4代頼寛・3代定経・初代頼稔の父親頼殷・9代頼巧と奥方)を引き取り安置、さらに10代土岐頼寧が天保12年(1841)、11代将軍徳川家斉が死去した際、上野の寛永寺に奉納した石灯籠も移設されています。
不動明王は沼田城にあった土岐家の祈願寺不動院(真言宗)の本尊(像高71cm)で明治維新で沼田城が廃城になると同じく祈願所であった勝善寺に、明治26年(1893)に東禅寺に移されました。勝軍地蔵は天正12年(1584)、徳川家康が小牧長久手の戦いで豊臣秀吉に対して苦戦を強いられていた際、側近だった土岐定政が愛宕神(本地仏:勝軍地蔵)に戦勝祈願すると念願成就し見事危機を脱する事が出来ました。家康は愛宕神の神意に感謝し、近くにあった石仏を愛宕神の化身として事ある毎にその石仏を定政に背負わせ戦に望みました。
天正18年(1590)、定政はこの石仏を授かると自らの守護神として篤く信仰し代々祭祀を続けたと伝えられています。「勝軍地蔵と厨子」と「不動明王坐像」は昭和52年(1977)に沼田市指定重要文化財に指定されています。宗派:臨済宗建長寺派。
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