土師の辻(藤岡市)概要: 土師の辻は住吉神社(大阪府大阪市)(※1)、羽咋神社(石川県羽咋市)(※2)と共に「日本三辻」に数えられています。土師の辻が何時頃に成立したのは不詳ですが境内に鎮座する土師神社の祭神は相撲の元祖とされる野見宿禰で、神話によると天皇の御前試合で当麻蹴速と野見宿禰が力比べをした事が相撲の始まりとされ、勝利した野見宿禰には当麻蹴速が治めていた領地が与えられたと記されています。
周辺地域は埴輪の製作に携わった土師部が生活した場所とされ、祖神である野見宿禰の御霊が勧請され土師神社が創建、祖先の由来から相撲が盛んになったと思われます。
土俵の寸法は高さ160cm、上円部径495cm、基底部1300cm、傾斜22度、斜長450cm、江戸時代までは出世した力士のお披露目相撲や例祭で奉納される勧請相撲などが行われ、幕内力士に出世しなければ土俵に上がる事が許されない格式のある神事でしたが、明治時代以降は衰退し現在では行われなくなっています。
土俵にしてはかなり高い印象を受け、高い場所で相撲を取ることでより神格化された行事となっていたのかも知れません。土師の辻では現在も土俵上に青竹で囲った上に注連縄をはって神聖視され、昭和46年(1971)に藤岡市指定史跡に指定されています。
補足(※1)住吉神社−弘仁年間(810〜824年)に奉納相撲が行われた際、近江国出身のハジカミと名乗る力士が他の力士を圧倒した為、力士に神意が宿ったと悟り行司の志賀右左衣門尉が注連縄を腰に巻きつけたのが横綱の始まりと伝えられています。
(※2)羽咋神社−祭神の磐衝別命は日本で初めて相撲の御前試合を開催した垂仁天皇の御子で、領内の若者を集め武芸の研鑽を兼ねて相撲を奨励しました。磐衝別命が崩御し塚を造る際、大きな窪地が出来た為、そこを相撲場に整備し御霊を鎮める為、奉納相撲が行われるようになり現在も連綿と継承されています。
土師の辻:上空画像
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