浄法寺(藤岡市)概要: 広厳山般若浄土院浄法寺の創建は不詳ですが伝承によると奈良時代の神亀年間(724〜729年)、聖武天皇の勅願により道忠(鑑真の高弟)により開かれたのが始まりと伝えられています。当初は律宗の寺院で緑野寺と称していましたが弘仁6年(815)に伝教大師最澄(平安時代の高僧、天台宗の開祖)が巡錫で当寺を訪れた際に天台宗に改宗しています。
その際、関東地方の天台宗普及の道場とし、最澄の発願の「六所宝塔(近江国比叡山東塔、山城国比叡山西塔、上野国浄法寺、下野国大慈寺、豊前国宇佐弥勒寺、筑前国竈門山寺)」の1つとされる相輪塔を建立し、弟子である円澄と広智が最澄から金剛胎蔵両部の灌頂を授けられています。
その後、浄法寺は関東地方の天台宗の拠点の1つとして寺運も隆盛しましたが戦国時代の天文21年(1552)に小田原北条氏に従った高山氏侵攻の兵火で多くの堂宇、記録、寺宝が焼失し衰微し、弘治2年(1556)に舜祐和尚により再興が図られました。南毛三十三観音霊場第25番札所(札所本尊:正観世音菩薩)。山号:広厳山。院号:般若浄土院。寺号:浄法寺。宗派:天台宗。本尊: 阿弥陀如来。
現在の浄法寺本堂は享和4年(1804)に再建されたもので木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺、平入、正面1間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内陣には本尊となる阿弥陀如来像が安置、棟梁は八田清兵衛。山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、四脚門、「緑野教寺」の扁額が掲げられています。現在の相輪塔は寛文12年(1672)に改造されたもので、青銅製、高さ5.3m、昭和59年(1984)に藤岡市指定文化財に指定されています。
浄法寺:上空画像
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