太子堂塚古墳(富岡市一ノ宮)概要: 案内板によると「 この古墳は、6世紀後半に築造されたと考えられる前方後円墳です。後円部の大半は大きく削られているため、本来の大きさは不明です。しかし、前方部は高さが6メートル、長さ30メートル、幅が40メートルほどの大きさがあり、原形は全長70メートルほどの規模があったと推定されます。前方部の西から南側にかけて、幅20メートルほどの周堀の痕跡が認められることから、楯形の周堀がめぐらされていたと考えられ、中心の主要部すでに壊されていますが、かつては大きな横穴式石室があったと伝えられています。一ノ宮所在の古墳群の中では、中心的な古墳であると同時に、市内では最大な規模をもつ前方後円墳であることから、当時この地域を治めていた首長の墳墓と考えられます。 富岡市教育委員会 」とあります。太子堂塚古墳は貴重な事から昭和49年(1974)に富岡市指定史跡に指定されています。太子堂塚古墳から西方400m先には上野国一之宮の貫前神社が鎮座し、貫前神社の創建は安閑天皇元年(531)で白鳳元年(661)蓬ヶ丘菖蒲谷に遷座したと伝えられる事から古墳の築造年と大きな開きはありません。貫前神社は物部姓磯部氏の氏神を祭ったという伝承がある事から、磯部氏の関係者が埋葬されているのかも知れません。又、同じく一ノ宮古墳群の一翼を成す堂山稲荷古墳(富岡市指定史跡:全長48m、前方後円墳)も6世紀前半頃の築造とされる事からも関係性が窺えます。古墳の上には芭蕉句碑が建立されています。芭蕉句碑は貴重な事から富岡市指定重要文化財に指定されています。
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