群馬県の養蚕や絹産業関係施設

群馬県:歴史・観光・見所(ホーム)>富岡製糸場・赤岩集落など
富岡製糸場
富岡製糸場
富岡製糸場概要: 富岡製糸場は明治5年(1872)、当時の政府が進めた近代化政策の一環で、フランス人であるポール・ブリューナの指導の下設置された官営模範器械製糸場です。日本側の責任者尾高惇忠とポール・ブリューナは幾つか上がった候補地の中から養蚕地域で豊富で良質の水源やエネルギー源である石炭が得られるなどの条件が揃う富岡を最適地と定め明治3年(1870)から建設工事が開始されました。明治5年から創業が開始され当初は外国人が指導し全国から工女を中心に300人が集められ、当初の計画通り、明治26年(1893)に民間会社である「三井」に払い下げられました。昭和13年(1938)からは「片倉工業株式会社・富岡工場」として創業、昭和62年(1987)に役目を終え操業が停止されています。富岡製糸場は、現存する官営工場としては最大規模であり繰糸場、繭倉庫、ブリューナ館、女工館(旧二号官舎)、検査人館(旧三号官舎)等多くの建物が良好な状態で保存されていていて国指定重要文化財に指定されています。又、「富岡製糸場と絹産業遺産群」として田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴と共に平成26年(2014)にユネスコの世界遺産リストに選定されています。

富沢家住宅
富沢家住宅
富沢家住宅概要: 富沢家は安土桃山時代の天正年間(1573〜1593年)富沢家住宅にこの地に土着した小池三郎右衛門の末裔とされ、その後の開発により江戸時代初期から中期の貞享年間(1684〜1687年)には集落内の3分の2の田圃が富沢家が管理していたとされ運送業(保存修理の際日本海側の海産物や内陸部の材木、木炭、繭などが取引されていた古文書が発見されています。)や金融、養蚕などにも家業を広げ地域を代表とする豪農となった家柄です。現在の建物は寛政2年(1790)に建てられた木造2階建、入母屋造、茅葺、桁行13間、梁間7間、正面の屋根が欠きこまれた前兜造や2階正面には通路が張り出し養蚕が効率的に出来るような平面構成など北毛地方の養蚕農家の典型とされます。又、家業の一端を成した運送業から建物の半分程度が土間で構成されウマヤが4室(一般的な農耕馬のウマヤより間口が狭く運送用の馬の為と考えられています。)設けられています。旧富沢家住宅は昭和45年に国指定重要文化財に指定されています。
赤岩地区養蚕農家群(赤岩集落)
赤岩地区養蚕農家群
赤岩地区養蚕農家群概要: 赤岩集落は主に養蚕を生業にしてきた農山村集落です。赤岩地区養蚕農家群国指定重要文化財に指定されるような建物が数多く存在している訳ではありませんが、江戸時代後期から明治時代に建てられた主屋や土蔵、付属舎、庭といった基本構成からなる屋敷が連続して、当時の日本の原風景的な景観を保持しています。主要産業が養蚕業だった事から主屋の屋根裏や2階、中には3階が養蚕に利用され、外壁の外側が通路になり室内が大部屋になるなど独特な構造になっています。又、赤岩集落内には上の観音堂や毘沙門堂、東堂、向坂の観音堂、赤岩神社といった小さな宗教施設が残っているのも特徴の一つで現在でも大切に維持管理がなれて当時の生活の一端を見ることが出来ます。歴史的には木曽義仲の家臣を祖に持つ湯本家が名主として集落経営に大きな役割を持ち、現在でも屋敷の建物(湯本家住宅)が現存し中之条町指定文化財に指定されています。六合村赤岩集落は山村養蚕集落として特色ある歴史的風致を伝えていることから平成18年に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
碓氷峠鉄道施設
碓氷峠鉄道施設
碓氷峠鉄道施設概要: めがね橋は明治25年碓氷峠鉄道施設に建てられた煉瓦造アーチ橋です。設計者はパゥネル技師と古川晴一技師で煉瓦の数は200万個以上、長さ87.7mは日本最大級の煉瓦造アーチ橋として当時の土木技術の粋を集めた巨大構造物です。新線が開通したことで昭和38年に廃線となり平成5年に碓氷峠鉄道施設として国指定重要文化財に指定されています。

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