上毛三山(赤城山・榛名山・妙義山)

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赤城神社(三夜沢)

赤城神社(三夜沢)

三夜沢赤城神社概要: 赤城神社三夜沢赤城神社の創建は不詳ですが古代上野国を支配した上毛野君(豐城入彦命子孫)を祀っている事からも古くからの産土神として信仰されてきたと思われます。承和6年(839)に従五位下、元慶4年(880)に従四位上、長元9年(1028)には正一位の格式を賜り、延喜式神名帳には名神大社に列せられ、上野国十二社の内貫前神社に次いで二ノ宮となっています。当初、赤城神社が一ノ宮だったそうですが機を織っている時に「くだ」が不足になり、貫前神社に借りて織り上げたので、織物が上手で財を持っている貫前神社に一の宮を譲ったといわれています。赤城神社歴代領主や支配者から崇敬され鎌倉幕府三代将軍源実朝は「上野の勢多の赤城のやしろ やまとにいかで あとをたれけむ」の唄を残し、上杉氏、武田氏、小田原北条氏、大胡氏、由良氏、長野氏など大大名から地元領主まで多くの祈願文や寄進状が残されています。赤城神社の本社は赤城山山頂に鎮座する赤城神社元宮と麓にある二宮赤城神社と三社が名乗っているそうですが当社が本社とする説が有力なようです。赤城神社信仰は広く群馬県118社、埼玉県23社、栃木県9社、茨城県10社、新潟県13社、福島県11社あり合祀されたものを合わせると334社に達するそうです。

赤城神社(二宮)

赤城神社(二宮)

二宮赤城神社概要: 赤城神社二宮赤城神社創建は垂仁天皇の時代に勧請されたと云われる古社で平安時代に制作された「続日本後期」や「三代実録」にも社名が記されています。延喜式神名帳に記載されている所謂式内社で上野国では貫前神社に次ぐ二宮の格式があったとされます。以来、歴代領主や支配者から崇敬され鎌倉時代の建久5年(1194)には源頼朝が社殿を再建し社領100石が寄進され社運が隆盛しました。戦国時代の永禄年間(1558〜70)小田原北条氏の兵火に見回られ社殿を始め、社宝、記録等が焼失しましたが、その後領主となった牧野氏や前橋藩主酒井氏、松平氏に庇護され再び隆盛しています。二宮赤城神社は古くから神仏混合だったとされ境内には仁王門(現随神門)や鐘楼、宝塔だけでなく土塁や空掘などの遺構も見られます。又、当社の他にも三夜沢と赤城山山頂付近に赤城神社の本社とされる神社があります。

赤城神社(元宮)

赤城神社(元宮)

赤城神社元宮概要: 赤城神社赤城山は古代から山岳信仰の山で山頂付近には大沼をはじめ多くの湖沼が散見出来る神聖な場所として崇敬されてきました。元々の祭神は山神である赤城大明神と水神である赤沼大神だったとされ自然崇拝の濃い神社だったようです。由緒的には崇神天皇の時代に豊城入彦命が上野国を開き大国主命を祀って祠を建立したのが創建と伝えられ大同元年に山頂付近の大洞に神域を定めて赤城神社を遷座しています。延長5年(792)にまとめられた延喜式神名帳には上野国12社中の貫前神社に次ぐ二ノ宮に位置づけられています(中腹に鎮座する三夜沢赤城神社と麓に鎮座する二宮赤城神社がそれぞれ本社を主張しています。)。江戸時代に入り徳川家康の分霊を合祀した事で3代将軍徳川家光をはじめ歴代藩主である平岩氏や酒井氏、松平氏からも崇敬され社殿の造営や改修、社領の寄進などが行われています。昭和45年に大洞より現在地に遷座しています。

榛名神社

榛名神社

榛名神社概要: 榛名神社案内板によると「 当社は第31代用明天皇丙午元年(1300余年前)の創祀で、延喜式内社である。徳川時代末期に至る迄神仏習合の時代が続き、満行宮榛名寺などと称えて、上野寛永寺に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理していたが、明治初年神仏分離の改革によって榛名神社として独立した。社殿は寛政4年の改築(170余年前)御祭神は後に立っている御姿岩の洞窟中に祀られている。神代舞(大々御神楽36座)は250年前から伝えられたもので国の無形文化財に指定されている。」とあります。榛名神社榛名神社は古くから榛名山山岳信仰の中心として広く信仰を集め、歴代領主や支配者から崇敬され、足利持氏、上杉謙信、小田原北条氏、真田氏、江戸時代以降は幕府から庇護されました。特に江戸時代の榛名神社は繁栄を極め山内の社家は3000坊を超えたと言われています。榛名神社は現在でも多くの社殿が当時の姿を留めており本殿・幣殿・拝殿・国祖社・額殿・双龍門・神楽殿・神幸殿・随神門が国指定重要文化財に指定されています。

妙義神社

妙義神社

妙義神社概要: 妙義神社妙義神社(群馬県富岡市)の創建は宣化天皇2年(537)に開かれたのが始まりと伝えられてる古社で、当初は波己曽大神として平安時代に編纂された歴史書"日本三代実録"にもその名が記されています。鎮座する妙義山は上毛三山の1つで、後に日本三大奇勝、日本百景に数えられる程、特異な景観で古くから山岳信仰や自然崇拝的な信仰の対象として広く知られる存在でした。特に江戸時代に入り上野東叡山宮御兼帯の格式を得ると、妙義神社歴代将軍や皇室などから崇敬、庇護され社運が隆盛し妙義千軒と称されるほど繁栄したと言われています。妙義神社の社殿は宝歴2年に大改修されたもので、権現造り、黒漆喰に金箔や極彩色で彩られ、多彩で精巧な彫刻は上毛の日光と称されるほどです。妙義神社の社殿、唐門、総門と社宝である紙本著色地蔵菩薩霊験記は国指定重要文化財に、旧妙義神社社殿で現在の波己曽社社殿と随神門、袖廻廊、銅鳥居、石垣が群馬県指定重要文化財にそれぞれ指定されています。又、妙義山の南中腹には同じ、妙義山の信仰が元になったと思われる中之嶽神社(下仁田町)が鎮座し、信仰の広がりを見せています。


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