上毛三名湯・温泉街:町並み

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草津温泉(日本三名泉)
草津温泉(日本三名湯)概要: 草津温泉の歴史は古く日本武尊行基菩薩草津温泉源頼朝が発見、開湯したとの伝承が残っています。草津温泉の名称の由来は「くさうず・くそうず」など臭う水が湧き出していたことが訛ったとも言われています。建久4年(1193)には源頼朝が家臣となった湯本氏に草津温泉の開発を命じたとされ、以来、湯本氏が開発、経営を取り仕切ったと言われています。室町時代に入る草津温泉の名は全国に知名度が広がり、湯本氏は多くの大名に硫黄を献上したとの記録が残っています。江戸時代に入ると沼田藩の支配下に入り藩主である真田氏が移封すると以後は幕府の直轄地となります。当時、草津温泉の湯宿は湯畑の周り60軒程あり、年間の湯治客が10000人を超えていたとされ、都市部から離れた温泉地としては異例の賑わいだったとされます。明治時代になるとドイツ人医師のベルツ博士により、草津温泉の泉質が科学的に証明され、その効能や効力が広く知られるようになりました。現在でも草津温泉では自然湧出量毎分32300リットルを誇り、酸性度、ph2.1、日本三名泉に数えられています。

草津温泉の泉質: 酸性・含硫黄−アルミニウム−硫酸塩・塩化物温泉
草津温泉の効能: 神経痛・慢性消化器病・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節の強張り・疲労回復・動脈硬化症・打ち身・切り傷・筋肉痛・慢性皮膚病・火傷・虚弱児童・挫き・健康増進・痔疾・冷え性・病後回復・慢性婦人病など

伊香保温泉(石段街)
伊香保温泉概要: 伊香保温泉の歴史は古く天平時代に行基菩薩によって開湯されたと伊香保温泉伝承があり、万葉集にも唄われています(※はっきりと温泉とは書かれている訳ではありません)。現在の伊香保温泉の町並みが形成したのは戦国時代、長篠の合戦の後で敗れた武田家の家臣達の傷を癒す為、源泉から効率的に温泉を宿に引き込むように計画したのが始まりとされます。江戸時代以降は一般の湯治客が増え、明治時代に入ると数多くの文人墨客なども訪れ知名度が広がり全国区にも知られるようになりました。現在でも、階段の両側には温泉宿の他、土産屋や飲食店が建ち並び伊香保温泉独特の町並みを形成され往時の雰囲気が随所に残されています。最上部には伊香保神社(伊香保神社は上野国三之宮とされます)が鎮座し温泉の守護神と同時に子宝に御利益があるとして信仰されています。

伊香保温泉の泉質: 黄金の湯:硫酸塩泉 ・ 白銀の湯 :メタけい酸単純泉
伊香保温泉の効能: 神経痛、筋肉痛、痔疾、疲労回復、病後回復期、慢性消化器病、慢性皮膚病、切り傷、くじき、関節のこわばり、火傷、動脈硬化症、関節痛、冷え性、五十肩、運動麻痺、打ち身、健康増進など

四万温泉(上毛三名湯)
四万温泉概要: 四万温泉の歴史は古く、永延年間に源頼光の家臣碓井日向守貞光四万温泉(又は塩谷日向守定光)がこの地を訪れた際、霊夢に山神の化身である子供が現れ四万の病に効く源泉の場所を教えたと言われています日向見薬師堂の由来と同じ)。又、一説には延暦年間、坂上田村麻呂が東夷討伐で当地を訪れた際、温泉を発見し温泉場を設けたのが最初とも言われています。四万温泉は戦国大名にも愛され上杉憲政(関東管領)が度々利用した他、真田昌幸も四万温泉の整備に尽力しています。その際、四万温泉の湯守になったのが田村彦左衛門で最初に四万温泉で湯宿を開いたとされる祖父の代から温泉開発に尽力を尽くしています。江戸時代中期になるとさらに開発が進み元禄4年には関善兵衛が湯場と宿を作り、積善館の祖を築いています。明治時代以降は一時衰退しましたがその後の整備により多くの湯治客で賑っています。

四万温泉の泉質: 硫化水素含有酸性緑ばん泉
四万温泉の効能: 神経痛・リウマチ・胃腸病など


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