富岡製糸場(富岡市)概要: 富岡製糸場は明治時代初期の明治5年(1872)、政府が進めた近代化政策と、 当時の輸出品の大部分を占めた生糸と蚕種の品質向上と大量生産が求められた事でフランス人ポール・ブリューナの指導の下設置された官営模範器械製糸場です。日本側の責任者尾高惇忠とポール・ブリューナは長野県、群馬県、埼玉県など幾つか上がった候補地の中から養蚕が盛んな地域で豊富で良質の水源やエネルギー源である石炭、建設資材である石材、木材、漆喰が得られるなどの条件が揃う群馬県富岡を最適地と定め明治3年(1870)から設計が開始されました。
設計は横須賀製鉄所で雇っていあたフランス人製図職工エドモン・ オーギュスト・バスチャンで経験を生かし短期間で図面が完成しています。富岡製糸場では繰糸器300釜、揚返器156窓を擁するなど日本のみならず世界的に見ても最大規模、最新技術が導入され、労働者である工女も日曜休日や8時間労働、年末年始の休日と夏休み、食費無料、寮費無料、医療費無料、制服貸与、一般教養学習機会など当時の日本にとっては画期的な仕組みが導入されました。明治5年(1872)から富岡製糸場の創業が開始、当初は外国人が指導し全国から工女を中心に300人が集められ、計画通り、明治26年(1893)に民間会社である「三井」に払い下げられました。
富岡製糸場は昭和13年(1938)からは「片倉工業株式会社 ・富岡工場」として創業、昭和62年(1987)に役目を終え操業が停止されています。富岡製糸場は、現存する官営工場としては最大規模であり繰糸場、繭倉庫、ブリューナ館、女工館(旧二号官舎)、検査人館(旧三号官舎)等多くの建物が良好な状態で保存され何れも国指定重要文化財に、敷地全域が平成17年(2005)に「旧富岡製糸場」として国指定史跡に指定されています。又、「富岡製糸場と絹産業遺産群」として平成26年(2014)にユネスコの世界遺産にも選定されています。※ 平成26年(2014)に繰糸所、東置繭所、西置繭所は国宝に指定されています。
富岡製糸場の国指定重要文化財
・ 繰糸所-明治5年-木骨レンガ造、平屋建、桟瓦葺き、桁行140.4m、梁間12.3m
・ 東置繭所-明治5年-木骨レンガ造2階建、切妻、桟瓦葺、桁行104.4m、梁間12.3m
・ 西置繭所-明治5年-木骨レンガ造2階建、切妻、桟瓦葺、桁行104.4m、梁間12.3m
・ 蒸気釜所-明治5年-木骨レンガ造、桟瓦葺+木造、鉄板葺
・ 鉄水溜-明治8年-鉄製の桶状の工作物、径15m、深さ2.4m
・ 下水竇及び外竇-明治5年-レンガ造暗渠、下水竇:延長186m・外竇:延長135m
・ 首長館-明治6年-木骨レンガ造、平屋、寄棟、桟瓦葺、東西33m、南北32.5m
・ 女工館-明治6年−木骨レンガ造、2階建、寄棟、桟瓦葺、東西20.1m、南北17.4m
・ 検査人館-明治6年-木骨レンガ造、2階建、寄棟、桟瓦葺、東西10.9m、南北18.8m
富岡製糸場と絹産業遺産群(世界遺産)
・ 富岡製糸場-現存する官営工場としては最大規模、多くの施設が良好な状態で保存
・ 田島弥平旧宅-近代養蚕農家の原型、屋根は「総ヤグラ」、国指定史跡
・ 高山社跡-高山家住宅、長屋門、桑の地下貯蔵庫跡など、国指定史跡
・ 荒船風穴-明治後期〜大正−地下2階、地上1階、国指定史跡
富岡製糸場東繭倉庫概要(案内板より): 「 明治5年(1872)建築 長さ104.4m 幅12.3m 高さ14.8 "木骨レンガ造"という西洋レンガ積みの技術と、木で骨組みを組むという日本の建築方法を組み合わせ、建てられた建物である。使用されているレンガは、日本の瓦職人が隣町の甘楽町福島に窯を築いて焼き上げたもので、目地には下仁田の青倉、栗山で採取された石灰で作った漆喰が使用された。一階は事務所などに使用し、二階には乾燥させた繭を保管した。倉庫一棟には最大で2500石の繭を貯蔵することができる。」
富岡製糸場ブリューナ館概要(案内板より): 「 明治6年(1873)建築広さ約320坪の木骨レンガ造平屋建ての住宅である。高床で廻廊風のベランダを持つこの建物は、首長ボール・ブリューナ一家とそのメイドが住んでいた。ブリューナは明治8年(1875)末の任期満了までここで生活していた。その後工女の夜学校や片倉富岡高等学園の校舎として利用された。そのため、内部は大幅な改造が加えられおり、当初の面影が少ない。現在の講堂となっている床下には、食料品貯蔵庫に使用したと思われるレンガ造りの地下室が三室残されている。」
富岡製糸場:上空画像
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