平井金山城(藤岡市)概要: 平井金山城は室町時代の応仁元年(1467)、上杉顕定(関東管領、上野国・武蔵国・伊豆国の守護大名)によって平井城の詰城として築城されたそうです。標高331mの頂上部の本丸を中心に尾根沿いに郭が配された梯郭式の中世の山城で、発掘調査により大手門や櫓、木戸、多数の郭などの遺構が発見され多くの部分が石垣によって構成されていました。
平井金山城自体は歴史上ほとんど出てきていませんが天文21年(1552)や天文22年(1553)には眼下の平井城を巡り攻防戦が繰り広げられており、当然何らかな戦闘があったと思われます。憲政が越後に逃れ、城を守っていた龍若丸が家臣の裏切りで北条家に差し出され平井城が開城になると、金山城も同時に開城し北条家の支配下に入りました。
現在見られる遺構の多くはその北条家が改修したものとも考えられます。廃城年も記録にはありませんが、永禄3年(1560)に平井城が廃城となったことから同時期に廃城になったのかも知れません。現在も多くの石垣や土塁、切掘など遺構があり一帯が平成11年(1999)に群馬県指定史跡に指定されています。
|