瑳珂比神社

  群馬県:歴史・観光・見所(ホーム)日光例幣使街道境宿>瑳珂比神社

概要・歴史・観光・見所

瑳珂比神社(伊勢崎市)概要: 瑳珂比神社は日光例幣使街道の宿場町である境宿(伊勢崎市)に境内を構えている神社です。瑳珂比神社の創建は室町時代末期の大永年間(1521〜1527年)、当時の領主小此木左衛門尉長光が能登国の石動明神(伊須流岐比古神社:石川県中能登町・伊須流岐比古神社は能登国二宮の格式の高い神社です。)の分霊を境城内に勧請したことが始まりと伝えられています。

元亀3年(1572)、後裔である小此木左衛門次郎は稲荷神の神像と石造剣を寄進し石剣権現と呼ばれるようになりました。天正8年(1590)に小此木氏は主家である由良家(金山城の城主)と共に常陸牛久(現在の茨城県牛久市)へ移封となりますが住民達は当社を鎮守社と定め石剣稲荷大明神と改称、以後、社殿の造営や祭祀も氏子が大きく関わるようになりました。

瑳珂比神社は古くから神仏習合していましたが、明治時代の神仏分離令を経て明治7年(1907)、村社に列し、明治40年(1907)に町内の多くの神社を合祀して社号を瑳珂比神社に改め、大正3年(1914)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。

現在の瑳珂比神社本殿は享和元年(1801)に再建された一間社、流造り、檜皮葺きの建物で全体に精巧な彫刻が施され極彩色で彩られています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造構造部朱塗り。

又、瑳珂比神社の境内には市神様である天王宮が鎮座しています。祭神は倉稲魂命。配神は火産霊命、健御名方命、素盞鳴命、大物主命、菅原道真命、鎮西八郎為朝命、誉田別命、大日靈命。

伊勢崎市:神社・仏閣・再生リスト
瑳珂比神社:上空画像

【 参考:サイト 】
公式ホームページ


瑳珂比神社:ストリートビュー

瑳珂比神社(本殿・拝殿):写真

瑳珂比神社 瑳珂比神社 瑳珂比神社 瑳珂比神社
境宿:名所旧跡
無量寺
無量寺
無量寺
長光寺
長光寺
長光寺
板倉屋薬局
板倉屋薬局
板倉屋薬局
瑳珂比神社
瑳珂比神社
瑳珂比神社


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「群馬県:歴史・観光・見所」は「群馬県の歴史」、「郷土資料辞典−群馬県」、「日本の城下町−関東(一)」、「城郭と城下町−関東」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。