木崎宿(太田市)概要: 木崎宿は日光東照宮(栃木県日光市)に京都の朝廷から例幣使が参拝する為に寛永19年(1642)に開削された日光例幣使街道の宿場町で、明和3年(1766)に現在地に遷ってきたとされます。街道は中山道の倉賀野宿から日光街道の楡木宿までで、その間15の宿場が設けられ、例幣使の宿泊や休息に利用されました。
中でも木崎宿は足尾銅山へと続く銅街道が分岐し、鉱山関係者が数多く利用した事もあり、文化元年(1804)の旅籠の数は27軒程でしたが後に63軒となり日光例幣使街道最大の宿場町となりました。又、木崎宿は多くの飯盛女を抱える旅籠が軒を連ねた宿場町として知られ、弘化2年(1845)には260人以上の飯盛女がいたそうです。
現在に伝わる木崎音頭(木崎節)は越後(現在の新潟県)から飯盛女として売られた女性が伝えたとされ、そこで唄われた色地蔵は現在でも長命寺境内前にある小堂に祀られています。日光例幣使街道と足尾銅山に続く銅街道の分岐点でもあり、追分には新しい道標「東 太田宿 日光」「西 柴宿 京都」「北 大通寺 銅山道」「南 前島 利根川 」が建立されています。
太田市新田木崎町:上空画像
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