五料宿

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概要・歴史・観光・見所

五料宿(玉村町)概要: 五料宿の地名の由来は西光寺を中興した良海の稚児千代寿丸が渡船の転覆で亡くなり"御霊"を供養した事からだと推定されています。天正年間(1573〜1593年)には倉賀野宿との間に伝馬の制度のような仕組みがあったとされ、那波氏の家臣石倉氏が関所を設け管理していたそうです。

慶長6年(1601)に前橋藩(藩庁:前橋城)によって関所が設けられましが、元和2年(1616)に幕府から正式に関所として認められ、元禄10年(1697)に再び幕府の指定を受けています。正保3年(1646)、朝廷から日光東照宮(栃木県日光市)への例幣使が恒例化すると例幣使街道も整備され街道中唯一の関所だった五料関所は重要視され上野国(現在の群馬県)の関所の中でも最も取り締まりの厳しい関所の一つとされました。

関所は前橋藩により管理され目付1人、番士2人、足軽6人、中間2人が業務を行いその他にも村役人が補佐していました。五料宿は利根川流域16ヶ所の「定船場」の一つだった事もあり舟運の取締りが厳しく禁制品が江戸に持ち込まれないように船中が改められました。又、五料宿は利根川舟運の河岸も設置され主に木材の輸送で利用されました。

日光例幣使街道:宿場町・再生リスト
玉村町五料:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


玉村町五料:ストリートビュー

五料宿・町並み・写真

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五料宿:町並み 五料宿:町並み 五料宿:町並み 五料宿:町並み
五料宿:名所旧跡
常楽寺
常楽寺
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五料関所
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五料宿
 
 
五料宿
 


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