境宿(伊勢崎市)概要: 境宿(伊勢崎市)は当初は柴宿と木崎宿の間宿扱いでしたが文久3年(1863)に正式に宿場町に格上げとなりました。
境宿の全長は463m、道幅は14m程、生糸を中心に物資が集められ2と7の付く日は市が立ち「六斎市」と呼ばれていました。
日光例幣使街道と世良田道、江戸道の結束点である事から交通の要衝でもあり、追分には天明7年(1787)に建立された道標(「此方 世良田 たてはやし道」、「右 江戸 なかせ 左 日光 きさき道」、「右 こくりやう いせさき」)があります。寛政3年(1791)には小林一茶が本陣を勤めていた俳人専車を尋ねましたが、あいにく留守で「 時鳥我が身ばかりに降る雨か 」の句を残しています。
織間本陣は寛文2年(1662)に伊勢崎藩(藩庁:伊勢崎陣屋)の藩士鶴田弥太郎氏の家を移築した格式のある家屋(木造平屋建、茅葺。敷地内には表門、式台付玄関、上段の間など9部屋、土間、中庭などがあった。)で旧堺町指定史跡に指定されていたようでしたが現在は石碑のみが建っています。
宿場内には無量寺、長光寺、瑳珂比神社、織間本陣跡などの見所があります。
日光例幣使街道:宿場町・再生リスト
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