日向見薬師堂

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概要・歴史・観光・見所

日向見薬師堂(四万温泉)概要: 日向見薬師堂は群馬県吾妻郡中之条町四万に境内を構えている御堂です。日向見薬師堂の創建は平安時代の永延年間(987〜989年)、当時周辺の地頭だった日向守定光(碓氷貞光?)によって建立されたのが始まりと伝えられています。

伝承によると定光が日向見(読み方=ひなたみ)の地で一睡もせずに御経を唱えていると、急に睡魔が襲い霊夢の中に童が出現し四万の病気を治す源泉を教えられました。定光が夢から覚めると不思議に思い、御告げの場所を探してみると霊泉が滾々と湧き出ていいました。

定光は童は薬師如来の化身と悟り、御堂(日向見薬師堂)を設けて童の姿を模した薬師如来像を安置したと伝えられ、この伝説が上毛三名湯(草津温泉・伊香保温泉・四万温泉)に数えられている四万温泉の由来となっています。

日向見薬師堂は当初、折田村(現在地より10キロ下流)に建立されていましたが戦国時代の享禄から天文年中(1528〜1555年)に上杉定政(扇谷上杉家の当主、相模国守護)によって現在地に移されました(薬師堂内部には天文6年:1537年に制作された宮殿が設置されています)。

日向見の地は所謂「姨捨山」的な存在だったとされ、日向見薬師堂の別当寺院である日向見定光寺周辺には身寄りの無い老人が晩年集まり四万温泉で湯治をしながら自ら畑を耕すなど助け合って暮らしていたとされ、山中には数多くの無縁塔が建立されていたそうです(現在の別当寺院は群馬県吾妻郡中之条町下沢渡に境内を構えている宗本寺です)。

一方、湯治場としても広く知られるようになり、薬師堂内部の壁板には現在の埼玉県や栃木県出身の名前が書かれています。日向見薬師堂の隣には無料駐車場(10台程度)の他、「御夢想の湯」、「足湯」があり観光地として整備されています。

【 日向見薬師堂 】−現在の日向見薬師堂(本堂)は慶長3年(1598)伊勢国山田の鹿目喜左衛門が領主である真田信幸(上田城の城主真田昌幸の長男、沼田城の城主)の武運長久を祈願して再建したもので寄棟、茅葺、平入、桁行3間、梁間3間、外壁は真壁造り、素木縦板張、四方浜縁、出組や桁の形、板蛙又の絵模様、木鼻の渦巻等室町時代当時の建築様式である和様と禅宗様の折衷様式をよく残しています。

日向見薬師堂は現存する群馬県最古の御堂建築として大変貴重な事から明治45年(1912)に国宝に指定され、昭和25年(1950)に法改正に伴い国指定重要文化財に指定されています。又、外壁正面には大きな「しゃもじ」、内部には複数の小さな「しゃもじ」が奉納されており、現在も人々から信仰の対象になっている事が窺えます。

【 お籠堂 】−日向見薬師堂の前面にある"お籠堂"は慶長19年(1614)に建てられたもので桁行き4.76m、梁間3.66m、寄棟、茅葺、外壁は真壁造り縦板張、中央に通路を設けた山門のような建物です(形式的には神社の割拝殿に似ているような印象があります)。

当時は外壁が無く、柱のみの吹き放しで内部では四万温泉の湯治客が御経や南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏などを唱えたり断食、水垢離などが行われる民間宗教施設だったとされます。"日向見薬師堂のお籠堂"は江戸時代初期に建てられたは民間宗教施設の遺構として貴重なことから平成12年(2000)に中之条町指定文化財に指定されています。

【 日向見薬師堂と碓氷貞光 】-碓氷貞光は橘(平)貞光の別称で、平安時代中期の天暦8年(954)に碓氷峠の一角で橘貞兼の子供として生まれた事に起因しています(神奈川県足柄下郡箱根町付近にある碓氷峠出身説も有力)。成人すると清和源氏の3代目当主である源頼光の家臣となり四天王に数えられ、伝説によると丹波大江山(京都府与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山)の盗賊酒呑童子や京都北野神社の土蜘蛛を退治し名を馳せました。

群馬県内では四万温泉、日向見薬師堂の伝説の他、安中市松井田町に境内を構えてる金剛寺の創建伝説(本尊となる十一面観世音菩薩の御告げにより大蛇を退治)があり、長野県側の碓氷峠には「碓氷貞光霊社」や「碓氷貞光の力だめしの石」があります。

【 日向見薬師堂と摩耶姫伝説 】-日向見薬師堂から、かなり下流に位置する村の近くに天狗の仕業と思われる崖地があり五社天狗として祭られていました。その村には子宝に恵まれない夫婦がおり、毎日五社天狗に子宝祈願を行っていると、天狗の化身と思われる白髪の老人が出現し、この川の上流に四万温泉があり薬師如来像が祭られているから、7日間湯に浸かり薬師如来に祈願すれば子宝に恵まれるだろう、と告げ姿を消しました。

夫婦は白髪の老人の御告げに従い日向見薬師堂に7日間籠り、祈願と湯治を繰り返すと翌年、可愛い女の子を授かりました。ある僧侶に経緯を話し、命名を依頼すると仏教に縁がある「摩耶」と名付けられ、以後、「摩耶姫」として美しく成長しました。

摩耶姫の美しさは広く知られるようになり、多くの縁談が来ましたが、中々意中の人が現れなかった事から、摩耶姫が村の近くあった不動明王に良縁祈願を行うと、不動明王の化身と思われる老婆が出現し、日向見薬師堂の奥に大きな滝があるからそこに行きなさい、と告げられました。

摩耶姫は御告げに従いその滝に行くと立派な男性がいた事から経緯を説明すると、男性も霊夢に不動明王が出現しこの滝に来るように告げられたと話しました。そこで2人は不動明王の導きと悟って契りを結び、幸せな家庭をもうけたそうです。その後、この滝は「摩耶の滝」と呼ばれ、摩耶不動尊が祭られていましたが、現在、その不動尊は日向見薬師堂の境内に遷されています。

八脚門を簡単に説明した動画

日向見薬師堂:本堂・御籠堂・写真

日向見薬師堂の正面に設けられた「お籠堂」と石造寺号標と石燈篭
[ 付近地図: 群馬県中之条町 ]・[ 中之条町:歴史・観光・見所 ]
日向見薬師堂の「お籠堂」から見た境内。通路はかなり狭いです。 日向見薬師堂に掲げれている「扁額」、「しゃもじ」、「梵鐘」。なぜ「しゃもじ」? 日向見薬師堂「お籠堂」の斜め正面と石垣と四万温泉調理師組合が奉納した鳥獣魚供養塔 日向見薬師堂の斜め正面、重厚な茅葺屋根と案内板。しぶい。
日向見薬師堂の側面、趣のある板張りの外壁。意匠的にはシンプルです。 日向見薬師堂と「お籠堂」の鳥瞰。このアングルがカッコイイかも。 日向見薬師堂の鳥瞰、美しい連続した茅葺。ちょっとアップで撮ってみた。 日向見薬師堂に続く参道と大木と並木。隙間からお籠堂が見えます。


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