前橋市: 二宮赤城神社

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概要・歴史・観光・見所
二宮赤城神社(前橋市)概要: 二宮赤城神社は群馬県前橋市二之宮町に鎮座している神社です。二宮赤城神社は平安時代の延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では名神大社と記載された赤城神社の論社として知られています。そもそも、赤城山(標高:1827.6m・上毛三山)は古代から上野国の霊山として自然崇拝の対象となり神が宿ると信じられてきました。当初は赤城山を望む遥拝施設や祭祀場だったと思われますが(三夜沢赤城神社の境内近くの山中にある櫃石など)、上毛野氏が上野国造に就任すると本拠の近くにその施設が設けられ、次第に神社として体裁が整えられ中央にも格式の高い神社として認識されていったと思われます。当地には垂仁天皇(紀元前29年〜西暦70年)又は景行天皇(71年〜130年)の御代に「赤城大明神」の分霊が勧請されたとされ、周辺には上野国を開発した上毛野氏(上野国造)関係のものと推定される前二子古墳・中二子古墳・後二子古墳という全長100mを越える前方後円墳が点在しており、当時の上野国の政治、文化の中心だったと思われます。その後、地元神と思われる「赤城大明神」は上毛野氏(上野国造)の祖神である豊城入彦命と入れ替わり朝廷の支配が確立していきました。

二宮赤城神社境内付近にある大室古墳群

古墳名築造年形式墳丘長さ墳丘高さ全長
前二子古墳6世紀初頭前方後円墳94m14m148m127m
中二子古墳6世紀前半前方後円墳111m15m170m138m
後二子古墳6世紀後半前方後円墳85m11m106m80m
小二子古墳6世紀後半前方後円墳38m5m44m39m
内堀1号墳6世紀後半前方後円墳35m3m37m39m
内堀4号墳6世紀後半円墳20m27m

これらの事から赤城神社は上野国の中で最も尊い神社だったと思われますが、その後、渡来人と関係が深い氏族が上野国に入ると、かれらが奉斎した貫前神社(群馬県富岡市)の方が赤城神社を上回る崇敬を受けるようになったと推察されます。赤城神社は「六国史」や「延喜式神名帳」に名を連ねる一方で、当初祭られていたと思われる赤城神の神名が失われ代わって上毛野氏の祖神である豊城入彦命が祭られるようになっています。赤城神社は上野国(上野国十二社)では貫前神社に次ぐ二宮の格式があったとされ承和6年(839)に制作された「続日本後期」では従五位下「三代実録」にもその都度冠位を賜わり「上野国交替実録帳」では正一位に列しています。同じく論社である元宮(大洞)赤城神社(群馬県前橋市富士見町赤城山)は山頂が開発された大同元年(806)に創建、又、三夜沢赤城神社にいたっては当社の奥之院又は山宮が発展した西宮と神仏習合が盛んになった以降に成立した東宮が合祀した事から、当社が赤城神社の本社という理屈になっています(3社の立場によって異なります)。現在でも御神幸という特殊神事では三夜沢赤城神社に神輿を往復させることが受継がれている為、少なくとも中世以前は当社が本社だったと考えられています。

その後、一宮・二宮などの格付けが明確になると上野国(群馬県)では貫前神社に次ぐ二宮として認識されるようになり、建久5年(1194)には鎌倉幕府初代将軍源頼朝が上野国守護職である安達盛長に二宮赤城神社の社殿の修築を命じて社領100石を寄進しました。戦国時代の永禄年間(1558〜1570年)に二宮赤城神社が小田原北条氏の一門である南方氏の兵火により大きな被害を受け社殿、社宝、記録等が焼失し衰退すると、赤城山信仰の中心が三夜沢赤城神社に移り(本社、又は本社の順ずる支持を得たと思われます)、当社は衰退を余儀なくされました(二宮赤城神社の境内の周辺には空堀や土塁の跡が見られる事から当時は武装化し北条氏と対立していたと思われます)。

天正18年(1590)に小田原北条氏が滅ぶと、大胡城(群馬県前橋市河原浜町)に入った牧野忠成、康成父子が二宮赤城神社の再興に尽力し、江戸時代に入ると、前橋城(藩庁:前橋城)主酒井氏、松平氏、天領代官から篤く崇敬されました。ただし、前橋藩の藩庁が置かれた前橋城の北東の方角にある赤城山山頂付近に元宮(大洞)赤城神社が鎮座していた為、鬼門の鎮護社として隆盛し本社を称するようになります(江戸時代には三夜沢と元宮の間で本社争いが起こっています)。二宮赤城神社は古くから神仏習合し、別当寺院として「玉蔵院」が祭祀を司ってきましたが、明治時代の神仏分離令により玉蔵院とは分離し、玉蔵院は前橋市大胡町堀越に境内を構えていた金胎寺と合併し、寺号を「金蔵院」に改めています。当社は神社として独立し形式的には仏教色を廃したものの、境内には仁王門(現随神門)や鐘楼、宝塔、土塁や空掘など神仏習合当時の遺構が随所に見られます。

二宮赤城神社随神門は切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門、外壁は真壁造板張り、左右には随身像が安置されています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行4間、張間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は一間社流造、正面千鳥破風、檜皮葺き、外壁は真壁造板張り、向拝までの袖壁には花頭窓風の開口があり神仏習合の名残が見られます。神輿舎は明治時代以前は仏教の護法善神である「天部」の諸尊12種の総称である十二天の像が祭られていた御堂だった建物で、木造平屋建て、入母屋、茅葺、桁行2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。祭神は豊城入彦命、大己貴尊など。

二宮赤城神社の文化財
・ 納曽利面(舞楽面)−享徳2年−群馬県指定文化財
・ 梵鐘−元和9年−高さ127cm、直径72cm−前橋市重要指定文化財
・ 絵馬−「飾馬の図」、「神馬の図」など−前橋市重要指定文化財
・ 宝塔−南北朝時代−前橋市重要指定文化財
・ 二宮赤城神社境内−前橋市指定史跡
・ 二之宮の式三番叟(附:伝授書)−前橋市指定重要有形民俗文化財
・ 二宮赤城神社の御神幸−前橋市指定重要無形民俗文化財
・ 太々神楽−前橋市指定重要無形民俗文化財

二宮赤城神社:写真

二宮赤城神社境内正面に設けられた朱色の大鳥居と石造社号標
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二宮赤城神社参道石畳み沿いにある神代橋と石燈篭 二宮赤城神社随神門(神社山門)には随神が祭られています 二宮赤城神社随神門(神社山門)から見た参道 二宮赤城神社参道石畳みから見た拝殿と石造狛犬
二宮赤城神社祈祷所又は神輿殿 二宮赤城神社本殿と幣殿と透塀 二宮赤城神社境内に設けられた比較的新しい神楽殿 二宮赤城神社舞台は当時の農村舞台にも見えます
二宮赤城神社の境内に設けられた鐘楼と梵鐘 二宮赤城神社宝塔は神仏習合の名残かも知れません 二宮赤城神社境内周囲に設けられた土塁と石祠群 二宮赤城神社境内周囲に設けられた空掘


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