名 称 | 場 所 | 内 容 |
・宝珠寺 | ・群馬県 ・伊勢崎市 | ・群馬県伊勢崎市赤堀今井町2丁目に境内を構えている宝珠寺は藤原秀郷が天慶2年(939)に平将門の乱平定の必勝祈願を行う為に開山したとの伝説が残る寺院です。境内にある五輪塔は秀郷の死後、秀郷の三男とされる田原千国が建立したと伝わる供養塔で伊勢崎市指定重要文化財に指定されています。又、この五輪塔(供養塔)には白蛇伝説や、煎じて飲めば疫病が平癒するといった伝説も残されています。 |
・毒島城 | ・群馬県 ・伊勢崎市 | ・群馬県伊勢崎市赤堀今井町に築城された毒島城には蜈蚣(百足)が巣くい住民に度々悪事を働き大変困っていました。住民達は蜈蚣を退治しようと何度も試みましたが、毒島城を取り囲む沼が変幻自在に広さが変わる為手出しする事が出来ませんでした。蜈蚣退治を嘆願された田原秀郷(藤原秀郷)は毒を臼で引き、それを矢じりにたっぷりと塗り込み蜈蚣を射殺すと毒島城を難なく落城したと伝えられています。 |
・百足鳥居 | ・群馬県 ・桐生市 | ・藤原秀郷が川を大きな橋で渡ったところ、違和感を感じ為振り返ってみると、橋では無く巨大なムカデ(百足)だったそうです。そこで秀郷は鳥居にそのムカデの姿を刻んだと伝えられています。現在の鳥居は赤城山の参拝道の為、天明2年(1782)に建立されたもので桐生市指定重要文化財に指定されています。 |
・三夜沢赤城神社 | ・群馬県 ・前橋市 | ・群馬県前橋市三夜沢町に鎮座している三夜沢赤城神社の境内にある「たわら杉」は平将門の討伐を命じられた藤原秀郷が上野国府に下向する際、三夜沢赤城神社を訪れ献木したと伝えられています。「たわら杉」は群馬県指定天然記念物に指定されています。 |
・貫前神社 | ・群馬県 ・富岡市 | ・群馬県富岡市一ノ宮に鎮座している貫前神社の境内にある「藤太杉」は、藤原秀郷(俵藤太)が平将門討伐の戦勝祈願する為に貫前神社を訪れた際、自分の当時の年齢36歳に因み36本の杉苗を献木した最後の1本と伝えられています。 |
・舞木城 | ・群馬県 ・千代田町 | ・群馬県千代田町大字舞木にある舞木城は承平年間(931〜937年)に藤原秀郷が築城したと伝えられています。舞木城の城跡には秀郷生誕地の石碑が建立されています。 |
・上野国赤岩 | ・群馬県 ・千代田町 | ・藤原秀郷は下野大掾(律令制の地方官吏)の任により当地に滞在した藤原村雄の子供として上野国赤岩(現在の群馬県邑楽郡千代田町の利根川北岸)で生まれたと伝えられています。 |
・三島神社 | ・群馬県 ・高山村 | ・群馬県吾妻郡高山村中山に鎮座している三島神社の参道の杉並木27本のうち1本は藤原秀郷(俵藤太)が戦勝祈願の為に献木したと伝えられています。中山三島神社杉並木は群馬県指定天然記念物に指定されています。 |
・八幡川原 | ・群馬県 ・太田市 | ・八幡川原は藤原秀郷と平将門の戦いが行われたと伝わる川原です。伝説によると秀郷の2男とされる藤原次郎が将門を射抜いた際、将門の体はバラバラに飛び散り胴体は只上神社に、腕は大手神社(栃木県足利市)に、腹は大原神社(栃木県足利市)に、足は鶏足寺(栃木県足利市)に落ちその地で埋葬されたと伝えられています。 |
・只上神社 | ・群馬県 ・太田市 | ・八幡川原の戦いで勝利した藤原秀郷が首級を掲げ凱旋し当地を訪れた際、死して尚大声を挙げたと伝えられています。又、当地は将門の胴体が埋葬された地でもあった為、社を設けて只上神社の前身である「胴筒の宮」として将門を祭ったと伝えられています。 |
・心王寺 | ・群馬県 ・太田市 | ・群馬県太田市只上町に境内を構えている心王寺(高野山真言宗)は平将門の乱の際、藤原秀郷の命を受けた当時の住職である慈正上人が将門の調伏の祈祷を行ったと伝えられています。 |
・伊勢神社 | ・群馬県 ・太田市 | ・群馬県太田市内ケ島町に鎮座している伊勢神社は平将門の乱の折、藤原秀郷が戦勝祈願の為に訪れたとされ、その際、弓で大空に向かって竹の矢を射ると、遠く離れた武蔵国まで届いたと伝えられてます。その故事が例祭で行われる「伊勢神社の弓引き祭り」の由来となっています。 |
・西丘神社 | ・群馬県 ・板倉町 | ・群馬県邑楽郡板倉町大字西岡に鎮座している西丘神社は天慶7年(944)3月に藤原秀郷が勧請したのが始まりと伝えられています。 |