富岡市: 貫前神社

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概要・歴史・観光・見所
貫前神社(富岡市)概要: 貫前神社は群馬県富岡市一ノ宮に鎮座しています。楼門貫前神社の創建は安閑天皇元年(531)、物部姓磯部氏が氏神である経津主神の分霊を勧請して鷺宮に奉祀したのが始まりと伝えられています。一方、旧境内地である群馬県安中市鷺宮には現在、鷺宮咲前神社が鎮座し、伝承によると国譲り神話の際、諏訪に逃げ込んだ建御名方神を追ってきた経津主神が陣を構えた地とされ、安閑天皇元年(534)に神石(雷斧石)に神が降臨した事から抜鉾大神(経津主神)を祭るようになったと伝えられています。元々の上野国(現在の群馬県)は上野国造である上毛野氏が支配し、上毛野氏が崇敬していた赤城神社(前橋市)が上野国では最もと格式が高い神社だったと思われますが、磯部氏は中央の朝廷と結びつく事で物部姓を賜り、上毛野氏を凌ぐ勢力になった事から貫前神社が赤城神社を上回る格式を得るようになったと推察されます。「神道集」の「上野国一之宮事」によると、赤城大明神が絹の機織りをした事で、上野国から絹が少なくなり疲弊した為、財があった抜鉾大明神(貫前神社の祭神)が助けました。これにより赤城大明神は、抜鉾大明神に上野国一之宮を譲り、自らは二之宮になった事が記載され、真偽の程は判りませんがどこかの時点で逆転した事が窺えます。因みに、長野県(信濃国)と群馬県(上野国)と新潟県(越後国)の県境に聳える三国山(標高:1636m)には、信濃国一宮である諏訪神社(長野県諏訪市・下諏訪町・茅野市)、越後国一宮である弥彦神社(新潟県弥彦村)の祭神が祭られているの対し、上野国では二宮の赤城神社の祭神が祭られています。

貫前神社は格式が高く続日本後紀では承和6年(839)に従五位下、日本三代実録では拝殿:向拝貞観元年(859)に従四位下、貞観9年(867)に従四位上、貞観18年(876)に正四位下、元慶3年(879)に正四位上、元慶4年(880)に正四位上、日本紀略では寛平3年(891)に正三位、扶桑略記では延喜16年(916)に従二位、上野国交替実録帳では長元3年(1030)に正一位に列した事が記載されています。古文書や歴史書には貫前神社と拔鋒神社の2社の社名が記されている事から、2神(経津主神・比売大神)2社説(貫前神社と拔鋒神社は全く異なる神社で異なる神が祀られていた)と1神1社説(貫前神社と拔鋒神社は同義)があるようです。延長5年(927)に編纂された"延喜式神名帳"では貫前神社が名神大社に列していて、上野国(群馬県)で記載されている式内社の12社中の筆頭である一ノ宮として信仰を広げました。

貫前神社は歴代領主や周辺の大名、為政者からも信仰され、特に上杉氏や小田原北条氏、本殿武田氏は篤く崇敬され、武田氏にいたっては社殿の造営費用を信濃四郡の棟別に課して賄ったとされます。特に天正19年(1591)には徳川家康から176石余の朱印を賜り江戸時代に入ると幕府から庇護され、3代将軍徳川家光や5代将軍徳川綱吉が社殿の造営や改修を行っています。又、境内は下仁田街道(姫街道)一ノ宮宿に位置していた事から、街道を利用した上人や、旅人の多くが参拝に訪れ、門前町と同化した一ノ宮宿には茶屋や女郎宿なども軒を連ね大いに賑わいました。貫前神社は古くから神仏習合し、別当寺院として三会寺、光明院、大乗院、神宮寺があり境内には三重塔をはじめ観音堂や仁王門など多くの堂宇が軒を連ねていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により多くが廃寺に追い込まれています。明治時代に入り旧社号と思われる貫前神社に改められ明治4年(1871)に国幣中社、太平洋戦争後は本庁別表神社に列しました。祭神:経津主命、姫大神。

貫前神社の別当寺院の1つ光明院は平安時代後期の天元4年(981)、月読社神官家である尾崎氏が開基となり創建した寺院です。又、和漢三才図会によると天徳4年(960)に神官である尾崎志摩守光明の開基したと記載されています。祭祀は尾崎氏の被官が社僧として行い、「栗の木坊(神宮寺)」と「大坊(大乗院)」が直末寺で最盛期には末寺36ヵ寺、江戸時代には寺領30石が安堵され末寺20ヵ寺を擁していました。貫前神社の境内には三重塔や神宮寺、経堂、観音堂、仁王門などが建てられていましたが、明治時代の神仏分離と廃部希釈運動により仏教色の強い建物は破却され、末寺10ヵ寺が没落しました。光明院も明治15年(1882)に無住となり荒廃が進みましたが、その後上州一宮駅前に境内を移して尾崎山光明院阿弥陀寺(天台宗)として再興しています。明治17年(1884)に当時の住職日々遜が自由民権運動の活動家の一人として群馬事件に関わった事から境内には「群馬自由民権の碑」が建立されています。寺宝である木彫阿弥陀如来坐像(附:金銅製十一面観音懸仏)は昭和52年(1977)に富岡市指定文化財に指定されています。

貫前神社の別当寺院の1つ一宮山三会寺は安土桃山時代の天正7年(1579)、当時の領主である小幡家の一族である一宮氏友が開基となり開かれたと伝えられています。江戸時代に入ると一宮家は貫前神社の大宮司に就任し、光明院系の尾崎家とは対立関係にあったそうです。三会寺は明治時代の神仏分離令後も曹洞宗の寺院として寺基は維持されました。

貫前神社の境内は「下り宮」あるいは「下り参りの宮」と呼ばれる形式で参道を一旦登った後、貫前神社・抜鉾若御子神社総門から下った所に社殿が配置されている独特なもので草部吉見神社(熊本県阿蘇郡高森町)、鵜戸神宮(宮崎県日南市)と共に日本三大下り宮に数えられています。貫前神社社殿は寛永12年(1635)、3代将軍徳川家光が再建したものを5代将軍綱吉が改修したもので本殿(本殿は単層2階建という独特な社殿形式を持っていることから「貫前造」と呼ばれています)は明治45年(1912)、拝殿 、楼門が昭和51年(1976)に国指定重要文化財に指定されています。

貫前神社の文化財
・ 本殿−寛永12年−三間社・春日風・檜皮葦−国指定重要文化財
・ 拝殿−寛永12年−三間社・入母屋・檜皮葦−国指定重要文化財
・ 楼門−寛永12年−四脚楼門・入母屋・銅板葺−国指定重要文化財
・ 白銅月宮鏡−国指定重要文化財
・ 銅鏡2面(梅雀文様、竹虎文様)−国指定重要文化財
・ 鹿占習俗−国選択無形民俗文化財
・ 鹿占習俗−群馬県指定重要無形民俗文化財
・ 奉納鏡−富岡市指定文化財
・ 唐銅製燈籠(1対)−慶応元年、高さ約395cm−富岡市指定文化財
・ スダジイ−推定樹齢千年、樹高10m、根周4m−富岡市指定天然記念物

貫前神社:写真

大鳥居 総門 燈籠 楼門
拝殿 本殿 拝殿・本殿 神楽殿
勅使門・勅使鳥居 末社日枝社 スダジイ 銀杏

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