三国街道: 下新田宿(みなかみ町)

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概要・歴史・観光・見所

下新田宿(みなかみ町)概要: 下新田宿(みなかみ町)は三国街道の街道沿いにある町で塚原宿と布施宿の間の宿として成立し、当時の家屋は30棟程、本陣や脇本陣は設置されなかったようで比較的小規模な宿場町でした。

又、豪商塩原太助の生家がある事でも有名で三国街道の街道沿いには塩原太助記念公園があり彼の偉業を称えています。交通量が多く当時は街道の中心にあった水路も消滅、道路も拡幅したと思われますが、当時からの建てられていたと思われる古い建物が両側に比較的多く存在しています。又、中世の平城である"諏訪の木城"の鬼門除けの地蔵や風門除け地蔵、火伏せ地蔵などが建立されています。

みなかみ町下新田:上空画像


みなかみ町下新田:ストリートビュー

下新田宿:町並み・写真

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下新田宿:町並み 下新田宿:町並み 下新田宿:町並み 下新田宿:町並み
下新田宿:町並み 下新田宿:町並み 下新田宿:町並み 下新田宿:町並み
下新田宿(みなかみ町):見所・観光
但馬院概要: 但馬院の境内は古くは"諏訪の木城"と呼ばれた平城で関但馬守が支配していました。戦国時代、上杉氏の関東侵攻により諏訪の木城は落城、当時の城主関義範の子義全は命は助けられ剃髪し当寺を開山しました。その後は11世不可得尊師、12世南寿法印薫山などの名僧を輩出しています。境内には安永7年に建立され、宿場の火事を防いだという伝説を持つ"火伏せ地蔵"が安置されています。沼田横堂三十三観音霊場第八番札所。
但馬院 但馬院 但馬院 但馬院
塩原太助翁概要: 塩原太助は寛保3年に下新田宿で生まれ、19歳の時に江戸に奉公に出ました。山口家に23年間奉公中に湯島無縁坂の改修や渋茶の接待所の開設、天神峠に常夜燈の建立などの偉業を行い、本所に独立した後は豪商として名を馳せました。後に「本所にすぎたるものが2つあり津軽大名、炭屋塩原」と云われるほど巨万の富を築いたとされます。文化13年8月14日没、享年74歳。
塩原太助翁 塩原太助翁 塩原太助翁 塩原太助翁
旧利根銀行新治支店概要: 旧利根銀行新治支店は明治33年(1900)に建てられた、塗屋造り2階建て、寄棟、瓦葺、妻入りの建物です。縦長の上げ下げ窓や玄関上部はファンライトと呼ばれる半円形の欄間を設えるなど当時の洋風建築の要素を取り入れています。玄関庇は大きな唐破風屋根でこの建物の正面性を演出し印象深くしています。都市部の銀行建築は煉瓦造など洋風建築が好まれた時代に地域では洋風建築を取り入れながら和風の重厚な建物が採用されていた好例だと思います。
旧利根銀行新治支店 旧利根銀行新治支店 旧利根銀行新治支店 旧利根銀行新治支店


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